05 | 2025/06 | 07 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
29 | 30 |
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
先日、親戚のお姉ちゃんに久しぶりに会い、たくさんお喋りをした。こんなところで身内を褒めるのはどうかと思うが、その人は実に魅力的な方である。口下手の私からするすると言葉を流れ出させる魔法を持っている。才能があるのにそれをこれっぽっちもひけらかさず、それでいて心の底に1本の芯が貫いている。帰り際、私は心が少し透明になった気がして、つくづくこの人に「憧れ」を抱いているのだなぁと感じた。
「憧れ」という言葉は、今の時代ではすこし古臭く聞こえるかもしれない。自身が何かに「憧れ」ていることを、他人に告白するのはやはり気恥ずかしいものだ。それは現時点では理想に到達していない自分の幼さを表すことであるし、心を奪われるという悠長さも今の時代とは少々合わない。しかし、「憧れ」とは他人を妬むことでも、卑下することでもない。そこにある程よい謙虚さは何よりも気付かぬうちに道をそれてしまっていた自分に原点を示してくれるに違いない、そう思っている。
「憧る(あくがる)」という古語には、自分の中から魂が抜け出してぼんやりするというニュアンスがあるといわれている。見慣れた灰色の道に咲いている一輪の花を見つけて、「あ・・・」と立ち止まった時、愛おしい人を思って「はぁ・・・」とため息をついた時、私の中の魂はするりと私の体を抜け出して私を見ているのかもしれない。そうしてその魂は美しい花・愛おしい人の元へ飛んでゆき充電をしてから、再び少しばかり窮屈な私の身体に帰ってくるのかもしれない。「我を忘れる」ことを忘れてはならない気がする。「我を忘れ」て一生懸命遊ぶことが仕事だった子供の頃の、あのエネルギーに満ち満ちた感覚が懐かしい。「憧れ」とはこの漢字が示すように「童(わらべ)の心」を思い出すことなのだろうか、そうだとしたらなんともpureなことだ。
そのとき私は、あぁ父も人の子であるのだなぁと思った。そんなことは自分も人であるならば当然のことだが、自分の親が、その親に今までの自分のように育てられてきたというのは、確かなことであるけれどなかなか想像しにくい。特に親が自分よりはるかに大きくたくましく、何でもできる存在であると思えた幼少の頃は、親は神にも等しく全く完璧で、自分と同じ人であると考えることもできなかったものだ。
しかし二十歳にも近づく頃となると、そうでもなくなる。身長は成長期を過ぎても父に及ばないし、社会人として働く親に比べれば私はまだ何もできない存在に等しい。しかし年を経て、親が常に正しいとか、何でもできるわけではないことに気付きだす。そして次第に親もそれぞれ一人の人であると見るようになる。
親のように、幼い頃は絶対的なもの、世界の全てに見えたものは、自分が成長していくにつれて段々その絶対性を失う。その代わりに更なる広い世界が自分に開かれる。それは人が自立していく上で欠かせないことであるのだろう。だから私にとって親を一人の人として見ることができるようになったのは、喜ばしいことである。しかし同時に、幼い頃の自分に戻りたい気持ちもまだまだある。絶対的なものの存在を認め、すがりついているのは気持ちのよいことだった。
現在、心では自立しようとしつつも現実はままならない、微妙な立場に自分はいる。といって自分が自立している姿も想像がつかないいっぱいいっぱいな状態であるが、やがては落ち着いて、今度は一人の人として以上に親を見る、次の段階に進めたらよいと思う。
だいたいは指揮者が前で棒をふっていて両者がそれにあわせる、ということになっているが、そういうさくらんぼ状の関係だけで表せるものでなくて、演奏者同士で息をあわせるというのも不可欠であることは言うまでもない。
しかし相手にあわせようあわせようとしてもズルズル遅れていったりして結局うまくいかない。で、やっぱり指揮者はまとめ役としてもいた方が良いということになる。
タイミング以外に何を合わせるのかと言われたらそれはまぁ音量とかいろいろあるのだけれど、タイミングがずれるのがきいていて最も失敗とわかりやすい(ずれることが一概に失敗であるとは言えないが)し説明もしやすい。
自分の音と他人の音が同時になるのだとすれば、自分が音を出すその瞬間まで相手も音をだしていないので、ちゃんと訓練していないと、「あれ、まだ音ださないのか!?」みたいなのが脳裏を過ってしまって結果遅れてしまったりする。相手に弾いてからよし聞こえたぜといって安心して自分も弾くなんてことはあらざるべきことだ。
ここでメンバー同士あるいは指揮者との信頼関係がとても大事なのですよなどと結論付けてしまうとなんだか安っぽいが、ひとつの音楽をつくるということは、先週書いたようにひとりひとり歌いながらしかも合わせなきゃならんというところが非常に難しいし(歌自体タイミングさえあってりゃ好き勝手に歌ってりゃいいってもんでもないしね)、なんとも奇跡的なもののように感じることがあるのだ、ということを伝えたい思いでいる。消化不良な文章ですがね。
「秋深み」とされる頃に入ってきたでしょうか。下宿生活をしている私は季節を感じるようなテレビを見ることもなく、舌で季節を味わうこともなく、身の回りも初めて来た場所ゆえ何処が変わるのか分からない、ときて、ただ気温の低下のみで秋を感じている有様です。その中で、他のデイリー孝太郎筆者さんたちが秋を題材に風情ある文章を書いてらっしゃるのを見ると、嫉妬の心が募るのと並行して、秋になった時の世間一般の人々の(一種月並みな)気持ちには不思議さを感じます。
何故か、秋には「~の」がつきます。食欲、芸術、読書、スポーツ…。秋以外何をするんやとも言いたくなりますが、秋というと何か事を行う季節のようです。生理的に夏ばてが収まるゆえ食欲は納得できます。しかしその他は何故でしょうか。涼しくなるから?では春は。単なる気候の変化のみではなさそうです。
もう一つ秋の一般イメージとして、「寂」があります。蝉の声が静まり、葉は枯れる。奥山で鹿が啼く夕暮れが寂しいのは古今東西いづこも同じなのです。これは視覚、聴覚を初めとして非常に感覚的なもの、しんしんと雪の降る冬への移行期として、多くのものが静まっていく季節からの印象でしょう。こちらは春との違いは明白です。書き忘れましたが、収穫と言う行事も重要な印象を示していることでしょう。
秋に付き物の感覚を多少挙げてみましたが、こう見ると秋にセンチメンタルさを特別感じるのは、人間の晩年の姿に近いからかな、と思いました。晩年の姿がどんなものか、体験したことはありませんが。成熟し、充実し、それでいて死へと着々と進んでいく。それを投影した見方をかなり率直なレベルで秋に行っているのではないでしょうか。
ほんの数時間前(後)の自分は他人である。何かのメモを取るにしてもどうせ自分用だからと油断して、簡略化、或いは逆にユーモアを発揮して婉曲にかいてみたりすると、もう何が何だか分からない。書いてるときには自分は分かっているものだから、後々見るときも分かっているものと思いこんでしまう。携帯のメモ帳に算用数字一文字で「4」とだけ残っていたときには吃驚したものだ。記憶力云々の問題というよりは、自分という人格が一所に留まっていない感覚。或いはそれが人間の自然な姿なのかも知れないが、社会というものが人格を最小単位として成り立っている以上、私という人格はある程度の一貫性を求められているわけであって、うぬぬぬ。
自分が自分で居続けるためにはどうしたらいいのか。メモの例であれば、未来の自分を他人だと思って、他人に説明するようなつもりでメモを取らなければならない。服装の例であれば、他人の服を選んでやるつもりで、夜になったら寒かろう、と気づかってやらねばならない。恐らく他人だけでなく自分に対しても礼儀正しく在ることの出来る人間が"大人"なのだろうと思う。自業自得などと言って納得していてはいつの日か他人にも迷惑を掛けてしまうかも知れないのであって、しっかりしなければなぁと思う今日この頃なのです。
紅葉した木々を眺めながら、その木々の周りに落ちた葉の中でも乾燥していそうなものを選んでは、踏んでみて、その音を楽しむ。ススキに紛れて、大量に生えている茶色くなったくっつきむし(正式には「ヌスビトハギ」という植物の一種であるようだ。)が大量に服や鞄にひっつくのに悩まされては、夕方になると聞こえ始めるスズムシの鳴き声に耳をすます。秋の登下校は、毎日がその繰り返しであり、当たり前のことであった。
しかし、最近はどうやらそれも当たり前ではないように思える。暖かい気候が続くためか、10月になっても紅葉を始めない木々も多い。スズムシの鳴き声も少なくなってきた気がする。少しずつだが環境に変化が出始め、秋を感じられるものも減ってきている気がして、どこか寂しい。
このような変化はやはり様々な環境問題の影響なのであろうか。環境問題について考えるとき、必ず出てくるのは「私たちにできることとは何か」という問題である。大抵、一個人にできることなど限られていて、実行したところで結果に結び付くのか疑いたくなるものも多い。実際、環境問題が解決に向かっていくには、企業や国などの大きな組織の協力が不可欠であろう。しかし、大きな組織も人間一人一人の集まりである。すぐに結果に結び付かなくとも、一人一人の行動がいつかは解決に向かっていくと信じて、対策と思われることを継続していくしかないのかもしれない。
破壊するのは容易いが、修復するのは難しい。そもそも、早く解決しようとするのが間違いだとも考えられる。私が幼い頃、「当たり前」だった自然の移り変わりが、これからも「当たり前」であるように、未来に向けて行動を起こしていくことを忘れたくない。
先日、世界遺産を紹介するテレビ番組がイタリアのある建造物たちを特集しているのを目にした。アルベルベッロという地方にある、トゥルッリと呼ばれるとんがり屋根の可愛らしい家々であった。おとぎの国の物語に出てきそうなその屋根は、モルタルなどの接着剤を一切用いず、煉瓦とどの大きさの石灰岩を上手く組み合わせて円錐形に積み上げられる。トゥルッリは、職人が設計図なしに自身の手と目の感覚で作り上げる伝統的な方法で建てられる。その絶妙な形は芸術に等しく神秘的である一方、そのたたずまいが可愛らしくもある。住みにくいそこでの気候に合わせた様々な工夫が凝らしてあり、トゥルッリの中は人間の住処として心地よいものであるそうだ。
そこに一人のトゥルッリ職人が登場する。現在トゥルッリは世界遺産として保護されているが、遂にこの昔ながらの家の新築要請は途絶えたという。しかし、画面の向こうで彼はトゥルッリを作っていた。先代から受け継がれてきた技術と、経験によって研ぎ澄まされた勘でもって、あの美しい円錐形を作っていた。だがそれは、誰も住めやしない、高さ30cmにも満たない模型のトゥルッリであった。
私はその石灰岩のブロック1つ1つに、彼のトゥルッリへの愛と、そして悲しみが詰まっているような気がしてならなかった。もし彼が誰かのためにトゥルッリを作るのであれば、どんなにその熟練した腕が鳴ったことだろうか。小さな小さなトゥルッリは、私に伝統のあり方を問いかけていた。先代から伝えられる技術を継承し「伝統」と呼ばれる芸術作品を後世に遺していくことは確かに大切だ。技術だけではない、「伝統」が経験してきた歴史や人々の思いを絶やさないこともまた大切だ。その「芸術」に触れて、我々が「美しい」「素晴らしい」と思うことは失われてはならない。
しかし、ただ形を残してそれを享受するだけではいけない。トゥルッリのとんがり屋根に接着剤が用いられていないのは、当時の領主が課税を免れるのを目的にすぐに建物を壊せるようにしたためだ。トゥルッリに用いられる石材は、雨水をためるためにトゥルッリ内の地下室を掘った時のものだ。トゥルッリがこれほどまで機能的に、芸術的に美しくなったのは、人々の実用を介していたからに違いない。後世に伝えられるにつれて「よりよいものへ」という人々の思いが濃厚なまでに重ねられていく、それこそが「伝統」なのではないだろうか。
実用の失われた「伝統」は、昔の形・昔の型を楽しむためだけのものになっている。そういったものは、今後人々の心を魅了し続ける力を持ち合わせてはいないだろう。私たちの思いも及ばない遠い未来で、実用を通して愛され続けることこそが、「伝統」の本来的なあるべき姿なのだろう。
模型としてできることは、懐古趣味の人間の心を一時的に慰めることにすぎない。あの小さな模型のトゥルッリが悲しみをたたえているように見えたのは、本当の意味で愛される日をじっと待っていたからなのかもしれない。