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しかし後日また暇があって、今度は現物を見ずに頭の中で覚えていた特徴を掘り起こしつつ描いてみると、不思議と先日は表すことのできなかった本物らしさを描くことができた。
首を傾げつつ、その横で、今度は腕時計を分析的に観察しつつ描いてみた。やはり本物らしさは現れなかった。結局、何故そうなったのかはよく分からなかった。
しかし後になって、現物を見ながらでは腕時計が上手く描けなかった原因の一つが分かった気がした。無論私の分析が拙かったのもあるだろうがそれをあえて除いて考えると、最初から分析的に描こうとするあまり、目に見えているものを無心に写すことを忘れてしまっていたことがまずかったように思われる。。逆に現物が目の前にない時は、それを強く頭に浮かべて頭の中の像を必死に表そうとした。そうして描いた絵は分析的に描いた時より上手くできた。感覚像はきわめて正確であったということである。
自分が思っている以上に頭は外部のことを敏感に感じ取っているようである。勉強中に二階の部屋から一階のトイレに行く時、私には誰かが入っているかなんて分からないはずなのに、何となく誰も入っていないと思う時がある。そしてほとんどは当たっている。勉強中でも頭は無意識のうちにトイレのドアが開閉する音の有無を確認しているのである。それが自分は覚えていないから、虫の知らせのようにふと感じたように思われる。私の頭は思い違いを起こすことがよくあるから、それに絶対の信頼を置くことはできないけれど、頭がかなり正確に現実を捉えているのも確かなようである。
直感と呼ばれるものも、案外この類いなのかもしれない。女の直感はよく当たるというが、これは実は女の頭が相当注意深いことを意味しているのではないだろうか。女という生き物の怖さの由縁である。
月が変わった。毎年10月になると思い出されるのが、『徒然草』の「神無月のころ」で始まる段である。
神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入る事侍りしに、遥かなる苔の細道を踏み分けて、心ぼそく住みなしたる庵あり。
このくだりを頭の中でめぐらす度に、ちらちらと気になっていたことがひとつある。「栗栖野とはどこなのか」という疑問である。兼好は京都の人間だから、きっと栗栖野も京都の地名には違いないけれど、今も残っているのかしら。なぜかいつも以上に心に引っかかる。広辞苑で調べてみると、山科区の地名だということだ。私は居ても立ってもいられなくなった。
京都市営地下鉄東西線の椥辻駅から地上に出ると、すぐそこに山科区役所がある。正面に大きな碑が建っていて、「郷土唱歌/山科」の歌詞が長々と刻んであった。その九番の歌詞を読んで、私は思わず小さく声を上げた。
「南へ行けば栗栖野の/墓は桓武の大御代に/東のえびすを平らげて/いさをヽたてし田村麻呂」
栗栖野という地名がはっきりと記されているばかりか、なんでもここは坂上田村麻呂ゆかりの場所らしいということが分かる。私は意気揚々と散策を開始した。
区役所前の新十条通りは、交通量も多く埃っぽい大通りだ。『徒然草』の面影はどこにもない。ただ、非常に起伏が激しいのが歩いていても分かり、なるほどここは「山科」だと実感された。
しばらく西に歩くと、私の当初の目的はあっけなく達成された。「栗栖野」というバスの停留所、栗栖野の名を冠した看板やポスターの数々……。あまりに何気ない出会いだったが、私にはやはり感慨があった。『徒然草』に書かれた地名が現存するということよりも、兼好が通ったであろう場所に今自分が立っているということに対してである。
ほっと一息ついて遠くを見渡してみると、東も西も山である。兼好はこの栗栖野を過ぎて、どちらの方角に向かったのであろうか。両方向に歩いてみたかったが、日暮れが近づいてきたので、来た道を引き返しがてら東へ向かうことにした。その前に田村麻呂の墓を訪れたのだが、その話は来週にまわすことにする。
新十条通りは、区役所前で外環状線と交わり途絶えている。そこからさらに東進すると、あたりは急に静かになった。まさに閑静な住宅街である。自分の靴音が気になるほどだ。山はもう目の前に迫っている。あと五分も歩けばふもとに到達できそうだった。私の胸は高鳴った。
しかし、暮れゆく町の風景の中を歩きながら、だんだん私は物寂しい気持ちになってきた。細く曲がりくねった路地に、夕飯支度をする家々の明かりが漏れてくる。びわの木のある曲がり角を曲がったとき、若い女の人が赤ん坊によちよち歩きの練習をさせているのを見かけた。彼女は私の姿を見ると不審そうに目を伏せ、私から守るように幼い息子を抱き上げた。私は何かしら後悔のようなものを感じ、軽く会釈をすると、椥辻駅へと踵を返したのだった。「もっとも根源的で敏感な私生活の場に、好奇心という軽率な動機で以って侵入し、申し訳ありません。」そう心の中でつぶやいた。
「人類」というのは個人を指すのでなくて、人の全体を一括して言う訳だが、この「全体」というところに問題があるのか、どうも人類と言われても自分とは関係のない集合のように思われることがある。
これは人類という言葉を、未来や過去の人間のなしてきた若しくはなすであろう事柄について(どこか“ショー的”に)語られるときにしばしば聞くからであるのからなのかな?それか、あるいは…
先週の記事と似たことを言えば、人類の犯してきた過ちについて、「それは自分のせいじゃないもの、あとのことも人類にまかせた!」みたいなふうにして余所事にしたいとかそういうのが無意識にはたらくのだろうか?ともすればいま現在の…
数日前のテレビ番組中、海岸を歩くリポーターが砂浜にころがっている汚物(?)をひろいあげて「科学的な臭いがします」といって悲しげな顔をし、スタジオでその映像をみるコメンテータや司会の男らもまたその「汚染」に対して顔をしかめている様子をしていたけれど、やっぱりその顔が「ひどいですね、人類。なんとかせねばなりませんね、人類は」みたいな偽善のようなふるまいに見えて(“テレビ的に”そうすべきなのだろうけど)、腹立たしくはないのだけれど、なんだか腑抜けな感じがした。
今思えば「科学的な臭い」というのは(自分の中では単に「化学薬品みたいなにおい」と言いたかったのだろうと思うが)「こうして海が、ひいては地球が汚れていることの背後には科学の発展というのがあるんですよね」という意味を含んでいたのかもしれない。とするとやはり…
考えごとの内容にもブームみたいなのがあって、いろんなことをごちゃごちゃと、そしてときには上のようにまともに言語化できないレベルでふわふわと考えていると、気づけばすべてテーマが同じにできることが多い。(この文章は多分に矛盾をはらんでいる!)
今日でもう9月は終わり、私の場合、明日から後期がはじまる。この2か月とはうってかわって、授業とともにさまざまなことがはじまってゆくことになりまた忙しくなるのだが、なんだかんだ考える時間はやはりどうにもなくせそうにないなぁ、と思う。できれば友達と話をしたりしてみたいが、「自分の思うこと」という程までに深く考えていないところがなさけなくてはずかしくてどうしても殻にこもってしまう。この文章自体言い訳の塊のようだ。復習するためには予習あるいは授業をちゃんとやることが必要なように、他人からの批判を反省に変えるためには、自分の方も同時に(「まずは」ではなくて)準備しているのでなくてはならない。
私は諸事情あってそんなことが度々ありまして、毎回喉を気遣いつつシャウトしています。
先日「応援練習」という奇妙な練習がありまして、仮想の味方が仮想の敵と一進一退の攻防を繰り広げ、最後に勝つのを「応援」したわけです。そこで気付いたのは、十人以上が何か叫べばもう何を言ってるのか判別不可能、ということです。ただ絶叫が持続している。選手には寧ろ耳障りではと思ったほどです。
毎回選手側は「応援のお陰で勝てた」などとリップサービスしてくれますが、何か互いに形式じみたものが暗黙に見えます。その割にはあまりに悲壮感溢れる応援を仲間はしています。
もともと応援は元来、遠くにいてこちらから何も出来ない人間にせめて呼びかける、ってものだと思いますが、その形なら無理がありません。応援は一方的なものです。形式にはめた時、本末が応援の甲斐なく転倒します。
虚ろな練習をしていると、気持ちって大事やな…と、違う角度からながらよく言われることを思いなおしてしまいました。
自分以外の人間が、自分の見えないところで通謀していて、何かしらを謀り、自分の一挙手一投足を見てはせせら笑っているのではないか。そういった感覚に襲われることが小さいことからよくあった。この妄念のタチの悪いところは、そんなことはあり得ないと言い切ることが全くできないところであり、例えば誰かを捉まえて「貴方は私を謀っていますか」と訊いてみたとしても、論理的に答えはノーでしかありえないわけで(「私は嘘つきである」という発言はそれだけで矛盾を生じる)、何の気休めにもならない。今でも、この考えが完全にバカバカしいとは思わないし、思えない。
それでは、奴らは私の知らない何を知っているのであろうか。例えば、「人類というのは実は地球生まれではなくて火星由来なのだけれども、何らかの理由があってそれを私に教えてはならず、歴史などという壮大な嘘の体系をでっち上げて私に教えている」のかも知れぬし、「この世に色というものがなくて、私は何らかの異変でそれを感じとっているけれども、周りの人間は無理に林檎を赤いと言い空を青いと言うことで、私がそれに気付かぬようにしている」のかも知れぬ。上述の如く、これらの可能性は完全に反証することができない。
こうして色々な可能性に思いを巡らしていると、この妄念は私の哲学的思考を促すのにそれなりに役に立っていることがわかる。例えば、自分が色を知覚しているということについて客観的に観じた経験があればこそ、クオリア等の哲学的で難解な概念も分かりよいものとなっている。
しかしながら、やはり気がかりなことは、私以外の人間がみな私を謀っているとすると、この稿は酷く滑稽なものとなってしまうということだ。これを読むあなたは、私の想像を遙かに超える秘密を隠してやはりせせら笑っているのであろうか。読者が自分の敵か味方かを分からないまま文章を書くのはひどく不安であるが、こちらも匿名で書いているのだからこれはこれで平等なのかも知れない。(いやしかし、私が匿名だと思わされているだけであって、奴らには全てお見通しなのかも知れない)
ホームステイ中、ホストファザーに自分の名前を漢字で書いて見せたところ、漢字は“art”のようだと言われた。当時は、そんなものなのかと、あまり実感はなかったが、最近になって、他国の言語の文字、特にアルファベットを用いない文字を目にする機会が増え、それらを見ていると文字の並びが絵のように思えて、ホストファザーの感覚はこのようなものだったのだろうか、と思う。
何でもいいから、同じ漢字を何度も続けて紙に書いてみてほしい。最初はある意味を成した一つのまとまりであったはずのその漢字が、よくわからない線の集まりのように見えはしないだろうか。この妙な違和感は、漢字の書き取り練習をする時などに小さい頃から感じていたものであったが、確かに、漢字が意味を成した一つの文字であるという概念を取りはらい、様々な角度や形の線がほぼ四角形の中に収まっていると考えれば、漢字一つ一つがまるで小さな絵のようにも思えてくる。
絵画には描いた本人の内面が滲み出るものである。漢字も一つの絵画であると考えれば、筆跡鑑定などでその人の内面がわかるというのも、(少なくとも、私にとっては)納得できる気がする。
漢字を、意味を持った一つの記号として見るのも勿論良いが、たまにはそのような概念を取り払い、一つの絵画だと思って眺めてみるのも面白いかもしれない。
最近、高校時代や中学時代の友人と再会する機会が多くある。同窓会で意図的に会うにしろ町で偶然見かけるにしろ、友達の顔を見ると一瞬で当時の情景や気持、匂いまでがよみがえってくるのは実に不思議なことだ。
友達という言葉の定義は人によるものだろう、時代に、国によるものだろう。友達という概念が無い場合もあるかもしれない。血縁関係も肉体関係も主従関係もない、ゆるやかな人間の繋がりで結ばれた友達、その関係は環境に左右されやすくひどく流動的で、そして脆い。「友達」であることを維持することに何ら義務はなく、自分の利益のためだけに「友達」を用いてもとがめられはしない。
今は学校や仕事、または地域、その他の活動で同じカテゴリーに分類されたその場で友達と出会うことが多いだろう。(もう1つインターネットという特殊な手段もあるが。)現代に限らず、人間との出会いとは所属やなにかの共通部分があるからこそ起こるのだ。同じしがらみの中で出会う人間には同属意識が芽生えるし、そのしがらみに抵抗するという目的を共にすることで共感し合えるものだ。しかしまたそのしがらみが無くなった時、つまり「友達」との共通部分が減少した時、互いの関係が希薄になるのも、ゆるやかな結合を成す流動的な友達の性質ゆえに当然のことである。
具体的には、学校というしがらみを卒業した今、当然のことだとしてここで関係を絶って良いのか。まるで現代の大量消費社会を象徴するかのように、人間関係を使い捨てて良いのか、と問いたい。その答えはもちろん「人によりけり」であり、そこに答えは無い。
しかし、人生において最も重要な訳ではないかもしれないが、人間関係・友達関係は人生の大部分を占めている。しがらみから解き放たれて自由な関係になった時、昔を懐かしむもよし、公的な議論を交わすもよし、夢を語るもよし、使い捨てにとどまらない「一生モノ」の友達がそばにいることはどんなに幸せだろうか。人の出会いは「一期一会」、出会いを大切にする昔の言葉が優しく響く。