忍者ブログ
孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
カレンダー
05 2025/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
最新CM
[02/10 編集長]
[01/04 編集部紅一点]
[06/01 なんばぁ]
[05/13 日曜担当者]
[05/10 いちこ]
最新記事
(04/03)
(11/17)
(07/21)
(02/10)
(01/01)
最新TB
ブログ内検索
[56] [57] [58] [59] [60] [61] [62] [63] [64] [65]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 昨日の晩御飯は冷凍ピザと野菜サラダであった。親の帰りが遅かったために、そんなありあわせのもので済ませたわけである。

 それにしても食べる前にじろじろ眺めたただのサラダ、ある角度から見ると猛烈な気配を漂わせる。きゅうり、トマトはさしたることはない。しかしレタスが違う。書道に用いる太い筆で豪快に塗りたくったような荒々しさで鮮やかな色彩を放つレタスは、不丁寧にちぎられたために皿の囲いに収まりきらずはみ出して、こちらにずいと迫りくる。

 もう少し部屋が暗かったら、私が几帳面にちぎっていたら、見る角度が違っていたら、皿が平らだったら、それはただのサラダであった。しかし今回微妙な条件がそろって、並々ならぬ凄みをほこっている。

 摘み取られ運び出され食われる寸前にある、とっくに死んでいるはずの物言わぬレタスは、生き生きとして、原始的な力強さを感じさせた。食う者へのささやかな抵抗だったのだろうか。

 だとしたら効果はあった。今思えばその時、気分の沈みがちであった自分はどうも力が抜けきっていた。一方レタスは微妙な条件が全てそろったまたとない機会を得て、実に生き生きとしていた。ものを食うというのは、生きる者が生きるために食うことである。ならば、むしろ食うのはレタス、食われるのは私であるべきではなかったのか。

 今思えばそんな気もしてしまう。ただのサラダに私は今も圧倒されている。しかしサラダと面していた時の私は何か考える余裕もなく、少しギクリとした後居座りを直してせっかくの条件を台無しにし、ただの死体に戻ってしまったことを確認して、一安心しながらサラダを食ったのだった。

PR
 小学校時代、私は「音楽クラブ」に所属していた。リコーダーやオルガンや手軽な打楽器を使って合奏を楽しみ、時には歌も交えて主に校内でその成果を発表する、そんなクラブである。運動会では鼓笛隊に早変わりし、入場行進の先頭を任された。
 そんな音楽クラブに与えられた数少ない公演の機会が、毎年敬老の日に催される「敬老芸能福祉まつり」での発表だった。「青い山脈」「野に咲く花のように」「北の国から」など、お年寄りにとって懐かしいような、受けがよさそうな曲を選んで演奏した。
 一通り演奏が終わり、私たちが一礼すると、会場から大きな拍手が起こったものだった。私は拍手を浴びてとても得意げな気持ちになった。「自分たちの演奏がすばらしいからこそこれだけ大きな拍手をもらえるのだ。」私たちは(少なくとも私は)、当然のようにそう考えていた。
 今になって、そうではなかったと気付く。それなりに整った演奏とはいえ、所詮あどけない小学生のすることだ。音楽的にはとても完成しているとは言えない穴だらけの合奏である。お年寄りがくれた拍手は、私たちの演奏のすばらしさに送られたものであるはずがなかった。彼らはおそらく、ありていに言えば、私たち小学生の一生懸命さに拍手を送ってくれたのだと思う。
 10歳前後の小さな子どもが、一つの音楽を皆で協力して練習し、大勢の前で披露するということ。そこには、小さな挫折や小さな苦労や小さな感動が沢山詰まっている。それを優しく包み込んでくれるような拍手を、お年寄りたちは送ってくれた。彼らは、大きな挫折、大きな苦労、大きな感動をいくつもいくつも味わってきた、そんな人々である。
 「敬老」の意味はそういうところにあるのだろう。70年・80年という長い歳月を生き続けてこそたどり着ける境地。名誉とか栄光とか財産とか、そんなものには無縁でも、ひとつの完成した人間として静かにたたずんでいる。気さくな人も気難しい人も、愚直に生きた人も狡賢く生きた人もある。人によって様々な生き方があるし、その方法論は誉められたりけなされたりする。しかし、もっと大きなスケールで眺めてみると、お年寄り一人一人の存在そのものが「人生」という難題に対する貴重な解答であり、具体例であると私は思う。70年・80年という長い時間を生き抜いてきた原動力は、他でもない、そのお年寄り自身が生み出したものなのである。「長い間生きてきた」という、その単純な事実に対し、我々は深い敬意を払わねばなるまい。

 現在、日本では、小学校から英語の授業が組み込まれ、授業を全て英語で行っている学校や学科が存在するなど、英語教育に重点が置かれている面がある。そんな中、英語では意見の主張や表現をすることはできるが、逆に日本語ではそれができない、といった人も現れているという話を耳にした。
 人間は言語によって思考する。意見の主張や表現は必ず思考を伴うことを考えれば、こういった人たちは日本語ではなく英語で思考しているということになるのだろうか。もしこれが本当だとすれば、日本人としてのアイデンティティーはどうなるのだろう、と思ってしまう。
 勿論、言語だけがアイデンティティーを成立させるものだとは思わない。だが、日本人が今まで日本語で思考することによって、日本独自の文化を生み出し、また、その日本独自の文化が日本語に影響を与え、そして支えてきたことなどを考えると、少なくとも日本人にとって、言語はアイデンティティーに深く関与するものなのではないかと思う。
 グローバル化が進む世界の中で、英語はこれから必要不可欠になってくるのだろう。しかし、私たちはまず日本人であって、日本人としてのアイデンティティーはしっかり保つべきだと思う。英語教育をアイデンティティーの面から考えるのも一つの観点かもしれない。

 

 

一歩踏み出せばいい

今とどまっているなら

歩くところに道はできる

 

人生が旅であるなら

それは始めがあり終わりがある

その二つは同じ場所

 

道を見失ったら

でたらめに歩き出せばいい

自分の足で歩いたなら

すべての結果は一致する

 

出会った人々と語らい

道に湧く水を飲めばいい

絢爛たる城にも 風強き砂漠にも

少年が駆ける村にも等しく朝日は昇る

 私の住む京都というところは盆地になっていて、四方を山に囲まれているために、特に高い建物さえなければ必ず遠くの方に山が見える。小さい頃からずっとそのような環境にいたため、私はそれが当たり前だと、つまりどんな景色でもその一番裏には山が控えているものだと頭のどこかで思っていた。もしかしたら記憶のないくらい幼い頃には、世界はドーム状の何かに包まれていて、そこに銭湯の壁のように山の絵が描いてある、というような世界観を持っていたかも知れない。
 世界の果てはどうなっているのか。この疑問は長い間人類をとらえてきた。海の先は滝になっていて落ちる、大地は三頭の象に支えられている、星々は天井に吊されている等々、様々な世界観がこれまで示されてきた。これらの世界観が未だに我々を魅了するのは、やはり我々もまた世界の果てに関する絶対的な答えを持っていないからであろう。宇宙はどうやら膨張しているらしいが、その宇宙が果てた先がどうなっているのかと想像することは楽しい。ビックバンの壁の向こうに比叡山の風景が広がっている、というのも悪くない気がする。

数日前から、尾てい骨のあたりに違和感があるのです。
原因はわからないのですが、仰向けに寝ていると軽い痛みさえ感じるときがあります。

尾てい骨なんて部分を意識したことなど、今まであったでしょうか?
なんだか、鷲田清一っぽく「尾てい骨が突如としてあらわれてきた!」とでも言ってみたくなります。

しかし、もとはしっぽがあったんでしたっけ。あの位置に。
そう考えると、なんだかぼんやりもやもやとしたものが頭の中に生じてきます。

人とサルはどう違うのだろう?

人以外のものを人は「動物」と呼んだりしていて、(人間と「動物」の間には区切りがあるように扱うこともあって)、そしてときにその「動物」には「心」がないかのようなふるまいをする。
だって、「心」あるものに対してどうしてやすやすと無神経に駆除、殺傷、あるいは「物」同然の扱いをできるでしょうか?

いえ、私は動物愛護を訴えたい訳ではありません。

ただ心というものの存在についてちょっと気になってきたのです。



自分の心がどういうものか、それはよくわからないかもしれないけれど、とりあえず、
「私には心があります!」
と言うことはできるのではないかと思います。

けれど、他人についてはどうでしょうか。

普段生活を共にしている人たちの多くに対して、私は、あの人には心がある、と思うことができますが、ごくたまに、「あいつには心があるのだろうか?」と思わされる行動をとる人間がいます。(身近にはまずいませんが)。
また、「それじゃポチがかわいそうだ」などと犬に心があるかのようなことをいう人もいます。
心の存在などとても確かなものではない気がする。
私はその存在を「信じる」しかないのでしょうか。

あぁ、確かに、心という日本語の曖昧さに私がふりまわされているだけかもしれません。多分そうでしょう。

物質たる脳からなぜ心が生まれるのか?という問いに答えんとする学問においては、心とはどういうものとしてとらえられているのでしょうか。

心がどういうものかわかったら、「心やさしい科学の子」である鉄腕アトムのような、「心をもつロボット」をつくることはできるようになるのでしょうか。


他人の心について、私が、相手のとる言動から無意識に判断して、ふと考えたときには「あの人には心があるぞ」、と思える、というこの仕組みからすると、私にそう思わせるような行動をとるためのプログラムさえつくれれば、そのようなロボットも不可能ではない気がしてきませんか。


すみません。尾てい骨をこんなお話に化かしてしまいました。

――高い高い空、この暗闇の果てが見えるかしら

 

 透き通っていて、少し冷たい空気を吸い込む

 

 (これはできるだけゆっくりとね)

 

 無用心に吸い込んではならないよ

 

 

 

 なぜなら

 

 生き急ぐと夏が甦(かえ)ってくるからね

 

 まるで機械のような音を立てて

 

 「ギィーーー・・・・・・」と最期に鳴いた蝉が

 

 それを何も言わず見下ろしていた積乱雲が

 

 それを何も思わず見つめていた私が

 

 

 

 

 

 昨日のことだったか氷河期のことだったか忘れたけれど

 

 遠い昔が、冷たい空気と一緒に私の中に入ってくる

 

 けれど、泣いてはならないよ

 

 

 

 「りいん、りいん、りいん」

 

 軽やかで、穏やかで、それでいて憂いを帯びた声につつまれよう

 

 

 

 ああ、やっぱり

 

 あの機械音もこんな声だったかもしれない

 

 

 

 ――高い高い空、この暗闇の果てに辿り着けるかしら

忍者ブログ [PR]