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孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
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 小学校の頃習字をしていた影響か、私は人の書く文字に注目することが結構ある。文字は見方によっては書いた人の色々なことを教えてくれると思うからである。
 少なくとも、私の文字には私の性質が現れているような気がする。何だか自分の欠点ばかりが浮かび上がっていて、それを露骨に出しているのではないかと恐れるほどである。そうしたことの多くは、欠点と思うあまりに臆病になって気にしてしまう「思いこみ」の類いであり、私の欠点を知らない者には読み取れるはずのないものであるのだろうけど、それでもなかなか拭い去れない怖さである。例えば文字の大きさでいえば、私は書く文字の極端に大きい、或いは小さい人どちらも知っているが、やはりそれがその人の大胆さに比例していると考えても違和感がない。こんな例があるからたまったものではない。
 文字を書き続けて二十年近く、当然私の文字は変わり続けてきた。昔の文字と比べると、段々人に見せても読めるものになってきているから一安心であるが、その変化には若干違いがある。他人の文字を意識しているか、いないかである。もともと意識してきたことはただ綺麗に、或いは格好よく書くことであったが、他人の文字を見て、どうしてあんな文字を書くのだろうかと疑問が生じるうちに、それを真似してみれば何か分かるかもしれないと思うようになったのである。とはいえ他人の文字などなかなか覚えられるものでもなく、真似を試み成功しているのは両親か兄弟のものくらいである。しかしそうした真似の過程で、私自身の文字もまた変わっていく。
 他人の文字に興味を抱くきっかけは、文が自分より小綺麗に収まっているのを感じたときなどである。「で」の字なんかにギョッとすることだってある。材料はどこにでもあるので、暇潰しにはもってこいである。
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征夷大将軍坂上田村麻呂の墓は、山科区役所から新十条通りを西に進み、山科川を越えると左前方に見えてくる。墓が見えるというよりも、墓を取り囲む小さな森が見えるのである。

それを目印に、新十条通りを外れて一歩南に入ると、交通の騒音は一気に遠ざかり、落ち着いた気分になる。数分も歩かないうちに、「田村の森」にたどりついた。

 小規模ながらもうっそうとしたその森は、公園として整備されていた。入り口の門柱には「坂ノ上田村麻呂公園」と刻まれている。

 ゆっくりと中へ入ってゆくと、左側に真新しいジャングルジムがあり、親子連れが楽しんでいた。「田村麻呂とジャングルジム」というミスマッチにまず私は苦笑し、「いやしかし、田村麻呂に見守られて子どもたちも安心だろう」と即座に考えた自分の年寄りくささに再び苦笑した。

 田村麻呂の墓は、檜の大木に囲まれて、公園の一番奥にひっそりとあった。墓の前はがらんとした空き地になっていて、小学校高学年くらいの男の子たちが野球をしていた。墓の周りには鎖が張られ、ある距離以上は近づけないようになっている。やはりそこには、子供たちの遊戯と隣り合わせにありながらも、それとは一線を画する凛とした空気があった。あの坂上田村麻呂が、ここに眠っている。

 私は田村麻呂に会いにここ山科へ来たのではなかった。栗栖野という地名を求めて来たのだった。だからこそ、よりいっそう「出会い」という感じを強く持った。「こんにちは、田村麻呂さん、はじめまして」ではなく、「あれ?え、もしかして、田村麻呂さんですか?」というような。

 墓の前に設置されたアルミ製の説明板には、次のような文言が記されている。

 

「弘仁二年五月二十三日死去、五十四才。この地で葬儀が営まれ、嵯峨天皇の勅によって甲冑・剣や弓矢を具した姿で棺に納められ、平安京にむかって立ったまま葬られた。」

 

 死者の魂を慰める言葉として「安らかにお眠りください」というのがあるが、田村麻呂の場合は安らかでもなければ眠ってもいないということになる。今も厳めしい顔で仁王立ちし、京都を監視しているのだろう。武人としては本望かもしれないが、少しは休んでいただかないと、という気もする。しかし、我々の身近でも悲惨な事件が起こるようになった今日この頃の時勢。彼も気が気ではあるまい。

 

 ふと気配を感じて振り返ると、夕日色をした蝶が目の前をゆっくりと横切っていった。

「田村麻呂の生まれ変わりかしら。」

思ったとたんに「田村麻呂と蝶」というミスマッチに気付き、私はやっぱり苦笑したのだった。

 先週、プロ野球、パ・リーグの全日程が終了し、セ・リーグも残すところあと数試合となりました。長い長いペナントレースを終えて選手の人たちはどんな思いを胸に抱いているのでしょうか。
 野球ファンたる私は、今年も大いに楽しませてもらいました。特にセ・リーグの終盤の首位攻防や、パ・リーグ楽天の山崎武司選手の活躍などが印象の強いものでした。(まだ終わってはいないですが)
 そういえば、シーズン中、ヒーローインタビューなどで「これからも、楽しみながら、声援にこたえるれるよう、精一杯頑張ります!」といった感じの言葉を選手の口からきくことが何度かありました。
 好きな野球が職業にできるなんてあの人たちは幸せだなぁ、と小さいころ思ったりしましたが、いま思えば彼らは日々大変なトレーニングをし、大きなプレッシャーに押されながら、必死で戦っているひと達なのです。(実際に見たことはないですが。一度見てみたいです。)
 しかし、そのような生活がほんとに楽しいのでしょうか?
 一見過酷な世界に身を置きながら、楽しいからやっている、という人はスポーツ選手に限らず見受けられます。私の身近なところでいえば、学者(研究者?)なんかがその例になるかもしれません。
 学者と呼ばれる人の生活であるとか、そういう人たちの属する世界とかがいかなるものかということについては、正直に言って私にとっては知らない部分が多いですけれども、なかなか大変な世界には違いないように思われます。
 ところが教員の方はというと「なあに、好きなことを楽しいからやってるだけだよ」といったふうにさらっと言ってしまったりします。(カッコいい!
 ところで、音楽をやっている友達が、音楽を楽しむと言うことがあるけれど、音楽をやっているときのあの高揚感のようなものを楽しいというのだよ、みたいなことを話したことがありました。
 私も音楽が好きで、演奏する機会もある人間ですので、この高揚感のようなものというのはよくわかります。気づけば、いま上にあげた例をみると、共通して、一種の緊張感のようなものが「楽しい」が生まれるところには存在する気がします。どこか張りつめた空気の中で、自分を高める、あるいは何かを完成させる、そういう過程の中に「楽しさ」は宿っていて、いつかふとした瞬間とか、これまでをふりかえったときとかに、「あぁ、楽しかったな」と思う、そういうものである気がします。
 当然これは特別な世界の人たちに与えられた特権ではありません。平凡な一学生である私の日常にも、楽しむということがあるはずです。
 受験勉強だって、生きていくために働くことだって、決して「楽」なことではありません。でも我々は乗り越えていかなくてはならない。
 一度立ち止まって、自分のなしてきたことを見つめてみて、「楽しかった」、そう思えたとき、それは自分が、それなりに頑張ってきた証になるのではないでしょうか。
 そして、野球にしろ、学問にしろ、音楽にしろ、そしてあるひとりの人間の生きざまにしろ、精一杯やって楽しんでいる姿は、それを目の当たりにした人にその楽しさを伝染させ、楽しませていくのではないでしょうか。

 普段よく使う「楽しい」という言葉とは少し違った意味での「楽しむ」ということについて少し書いてみました。

 十三参りの時に、好きな漢字を一字選び書けと言われ、「優」と書いたことがあります。最近は自分の成績表に有るかを案じる対象となりさもしいのですが、当時は「優れる」「優しい」というように、一字でニュアンスが広く、自分が目指したい姿を示しているということで選んだのだと思います。

 

一字でインパクトのある漢字としては六十四画の漢字(表記不能:興を4つ、または龍を4つ)や「凹」「凸」「互」(平行線と角度の問題になりそう)などいろいろ勝手に挙げているのですが、最近思うインパクト漢字は、やはり「躾」です。これは国字だそうです。日本独自。「身」を「美しく」すると言う順で書いて「しつけ」。非常に理念によって創られたの感があります。どこかそういう教育を行ったり、作法を定める分野で創られたのではないでしょうか。文字の形としては明らかにアンバランスな「躾」。でもそんなことは気にせず使われています。

 

しかし、「しつけ」の実情は「身」を「美しく」するものでしょうか。子どもが世間で恥をかかないために、一人の人間としてやっていけるように、というのが「しつけ」の目的として挙げる人が多いかと思います。でも、後者の名目であっても「しつけ」で行われるのは主には礼儀作法、及び「他人に迷惑をかけない」ための所作。同じ人間としてやっていくべきものであっても食事を作ったり友達を作ったりすることはあまり考えに入りません。食事のマナー、友達に嫌われない、というのは入りますが。

 

要するに世間に適合させることが「しつけ」なのです。そう考えると「躾」が国字なのが納得いきます。身を美しくなどはやはり建前。現に、「しつけ」の名の下に時に暴力がふるわれますし。加えて、先輩をしつける、兄をしつける、などは絶対に有り得ないシチュエーションです。しつけるのは大人=世間の先輩、しつけられるのは子ども=世間の後輩という図式です。「世間」という流派の中での狭い一本道です。さらに、ペットの「しつけ」ってものもよく聞きます。トイレで便をさせる、などを挙げて。子どもとペット、扱われる次元は同じです。同じ目線で「しつけ」なのです。

 

「躾」。美しい理念のにじむものですが、どうも空想的、現実乖離的で、字のアンバランスさがそれを反映しているように思えます。

 久しぶりに大学に行ったら、大きな建て替え工事をやっていた。大学のキャンパスというのは、いろいろな時期に建てた建物があちこちに点在しているため、結構頻繁に工事というものをやる。

 今度はここの建物か…。その建物は、私も週何回か授業を受けていた棟で、真夏でも幾分か涼しかったり、遠くの理系の研究室から微かに化学薬品らしき匂いがしたり、流石に建て替えられるだけのことはある、有り体に言ってしまえば古臭い建物だった。なのでまぁ建て替えられるのも仕方ないなと納得したわけである。

 しかしながら、この「古いものから順に新しくなってゆく」という秩序を無批判に受け入れても良いものなのだろうか。しかつめらしく黄色と黒の縞々に囲まれた棟を見ながらそんなことを考えた。遠くヨーロッパの多くの都市では景観の保存ということに大変力を入れている、という話はよく聞くところだ。「新しいものは新しく、古いものは古く」と、そう単純には行かないだろうが、日本式の新しい方へ新しい方への感覚でゆくと、時代というものが過去から未来へ一直線に進んでいるような、そんな思考法に陥ってしまうのではないか。歴史はところどころ曲折し、また思わぬところで繋がったりするからこそ面白いと私は思っている。大体、一直線の新しさなどすぐ行き詰まってしまうに違いない。

 適切な喩えになるかわからないが、地球の大気は地面の方から、つまり下層から温められるために、温かい空気が上昇して対流が起こっている。これに対して海水は水面、つまり上層から温められるために対流はあまり起きないのだという。つまり何が言いたいのかというと、大気のような歴史の進み方もあれば海水のような歴史の進み方があってもよいのではないかということである。無理矢理なアナロジーではあるが、歴史的な景観や建造物に感じる雄大さや包み込まれるような感覚は、どっしりと構える海のイメージにどこか通じるところがあるかも知れない。

最近、兎角眠い。大学への通学にかかる約四時間は、ほぼ全て睡眠に充てられているといっても過言ではない。本当はその四時間を読書等に充てたいのだが、立っているときはまだしも、空いている席に座ったが最後、何をしていようが、いつの間にか眠りに落ちている。

そもそも、睡眠は何の為にあるのか。睡眠不足になると、身体が重く感じるので、睡眠は身体を休息させるためのものという印象があるのだが、実際は違うようだ。19世紀初めに、犬を2週間以上起こし続けていると、どのような変化があらわれるのか、という実験を行ったところ、269時間起きていた犬の脳細胞は壊れてしまい、場合によっては死滅してしまったという。勿論、睡眠不足は身体に悪影響を及ぼすが、睡眠は脳の休息のためのものであるのだ。

眠たいと思っていなかったのに、いつの間にか眠ってしまうのは、睡眠不足である場合、自覚的眠気と脳波からみた客観的眠気の両者が、かなり乖離してしまっているからであり、また、日中にも眠くなってしまうのは、活動と休息のリズムが不規則であると、脳内の生物時計の25時間という周期をリセットしにくくなり、24時間周期のリズムで生活できなくなってしまうからのようだ。

睡眠が大切であるというのはわかっていたものの、脳細胞にかなりの影響を与えていることがわかると、睡眠不足が急に恐ろしく思えてくる。20歳を過ぎると、脳細胞は死滅していくのみで、二度と増えることはない、という話も耳にしたことがある。取りあえずは、夏休みですっかり不規則になってしまった生活リズムを元に戻そうと思った。

私は焦っている。筆が(シャープペンシルが)進まないのだ。いつかの彼のように、私の前にも小林という名の教祖が現れはしないかと他力本願になったりもする。(今ふと良い子のもとにしかサンタクロースは来ないよ、と言われた気がした。
 
部屋を見回してみてもあまりの平凡さに苛立つだけだ。月を詠むにしても、今夜の月は気高すぎで・・・と尻込みしてしまう。(良い言い訳だ。)
 
日本語をしぼり出そうにも、出てきたそばからするするすると手の間すり抜けて行く。まるで、ドジョウすくいだ。捕まえてもと思ってもすぐにポチャン・・気付けば手の届かぬ下流に逃げている。仕舞いにはこの紙の上の文字までが、くねくねとうごめきだす。単語をつなぐ助詞が関節のように、一文に流動性を与える。頭と尾っぽを入れ替えても、何ら論理が崩れない日本語のいい加減さにはプラナリアさえびっくりだ。ひらがなの描き出すカーブとカタカナの古臭さと漢字の迷路に、酔ってしまいそうだ。記号に過ぎない記号に過ぎない・・・自分に言い聞かせても、その記号たちまでもが踊りだしてあまりの馬鹿馬鹿しさに笑ってしまった。音読などしてしまったら、もう、言語の奏でる旋律と共に私まで下流に流されてしまう。ゆるゆるゆるゆる・・・。この擬態語もまた堪らない、そのまま海に流れ出てもいいかなぁと思ったりもするが、如何せん明日は愛すべきデイリー孝太郎の担当だ。
 
一見、日本語と同じくうねうねした英語を眺める。昔は蟹の這う文字と言われたくらいだ。しかし、そこから得られるものはあまりに便宜的に、論理化された言語だった。「1+1=2」これはもう十分分かったよ。単語同士の空白に寂しさまで感じた。
 
よし!妄想はここまでだ。さて、何か書かねば・・・・・・・・・
・・・。

 ゆるゆるゆる・・・・目の前をドジョウが勝ち誇ったように泳いでいった。

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