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先日、親戚のお姉ちゃんに久しぶりに会い、たくさんお喋りをした。こんなところで身内を褒めるのはどうかと思うが、その人は実に魅力的な方である。口下手の私からするすると言葉を流れ出させる魔法を持っている。才能があるのにそれをこれっぽっちもひけらかさず、それでいて心の底に1本の芯が貫いている。帰り際、私は心が少し透明になった気がして、つくづくこの人に「憧れ」を抱いているのだなぁと感じた。
「憧れ」という言葉は、今の時代ではすこし古臭く聞こえるかもしれない。自身が何かに「憧れ」ていることを、他人に告白するのはやはり気恥ずかしいものだ。それは現時点では理想に到達していない自分の幼さを表すことであるし、心を奪われるという悠長さも今の時代とは少々合わない。しかし、「憧れ」とは他人を妬むことでも、卑下することでもない。そこにある程よい謙虚さは何よりも気付かぬうちに道をそれてしまっていた自分に原点を示してくれるに違いない、そう思っている。
「憧る(あくがる)」という古語には、自分の中から魂が抜け出してぼんやりするというニュアンスがあるといわれている。見慣れた灰色の道に咲いている一輪の花を見つけて、「あ・・・」と立ち止まった時、愛おしい人を思って「はぁ・・・」とため息をついた時、私の中の魂はするりと私の体を抜け出して私を見ているのかもしれない。そうしてその魂は美しい花・愛おしい人の元へ飛んでゆき充電をしてから、再び少しばかり窮屈な私の身体に帰ってくるのかもしれない。「我を忘れる」ことを忘れてはならない気がする。「我を忘れ」て一生懸命遊ぶことが仕事だった子供の頃の、あのエネルギーに満ち満ちた感覚が懐かしい。「憧れ」とはこの漢字が示すように「童(わらべ)の心」を思い出すことなのだろうか、そうだとしたらなんともpureなことだ。