05 | 2025/06 | 07 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
29 | 30 |
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
川の流れを眺めていた。夜の川はとても静かで、街灯の照らす明かりを受けた部分だけが白くキラキラしていた。そのキラキラをみて初めて、川が流れを持っていることを思い出した。当然のことなのだけれど、誰も見ていない夜にさえ川は律儀に流れているんだなぁと感心した。今晩だけではない、この川がこの地球上に存在することになったまさにその日から、上流から下流へ流れ行く作業を止めてはいないことに感心した。
見えないものを見ることの大切さは、他人から教えられても十分には理解できないのかもしれない。なぜなら、それは見えやしないから。私たちの目が捉えることができるのは一定の大きさの、一定の距離の、しかも一定の電波光線に限られている。常に私のそばにあるはずの「心」でさえ見えないのだ。その実に狭い情報に、意味を見出すことは難しくかつ面倒だ。見えないものを見ようとせずとも、私たちは十分に安全にかつ合理的に生きられるのだから。そんな「幸せ」な時代なのだから。
私たち人間はひどく忙しく、それでいてひどく退屈だ。与えられた仕事をただ単にこなし、漠然と頑張ることの忙しさ。それとは反比例して、満たしてくれるものを心が探して止まないという退屈さ。しかし、それぞれに忙しく退屈な人間の時間軸とは異なる世界で、ゆっくりと流れる大河がある。その河は太古の昔から宇宙創生の時から脈々と流れ続けている。誰も見ていない夜にさえ律儀に流れてきた。(誰も見ていないので断言できないが)
見えないものを見るとは、畏れながらもその大河を構成する一滴の水を不意に頂くことではないかと思う。この大河が真理だとは言い切れないが、この水の美味しさは格別だろう。それで十分だ。
「日常の時間をふと止めて、大河の流れを感じてごらん。」本誌「孝太郎」そしてこの「デイリー孝太郎」は私にそう囁いてくれた。見えないものを見ようとすることの意味を教えてくれた。きっとこの人がいなければ、私は相変わらず忙しさにくじけそうになり、退屈さに苛立っていただろう。さて、これからしばらくの間、私は忙しい世界に戻ってみようかと思う。でも大丈夫、河の流れはもう忘れないから。
これはその人の単細胞的性格を表すシーンなのだが、そんなにバカにできたものじゃない(笑ったけど)。私もどちらかというと名前さえあれば満足してしまう方だからである。よく知らないものでも名前さえあればとりあえず知っている気になる。
人間は自分の知らない不気味なものに名前をつけて認識しようとするものであり、これもその類いなのかもしれないが、当然よいことではなく、それぞれのものが持つ理屈の知識はあった方がよいだろう。
しかし我々の持つ知識のほとんどは我々の実生活から離れたところにあって、しかもそれが正しいかどうかなんて確認する機会はなかなかない。実質的に虚ろな知識があるということである。そうした知識というのは、確かに分かってはいるけれども自分にとって重みの感じにくいものであるから、それを本当に知識と呼んでよいのだろうかと思うことがある。どこまでものについて知っていれば知識と呼べるのか、よく分からない。
死ぬまでに得た知識の中で、虚ろな知識のままであり続けるものは数多いだろう。しかしある機会で虚ろな知識が重みを持った瞬間はやはりにやりとしてしまう。虚ろな知識は持っていてもあまり意味はないのかもしれないが、もしかするとそんな喜びのためだけに持つのかもしれない。ならばできるだけいっぱいにやにやできる方が得だな、と思う。
ひたひたと、世の中は冬に向かう。冬とはすなわち悲哀である。冬とはすなわち焦燥である。冬とはすなわち滅亡であり、終焉である。
早い話、冬は季節ではない。少なくとも季節らしくない季節である。春・夏・秋が築き上げてきた様々な季節らしい季節を、ことごとく崩し去ってしまう季節である。次なる季節はしかし、この冬の中で生まれる。滅びつくされたものの中から、全く新たに誕生するのである。前の季節に執着することなく、歴史上全く初めての経験として、その胎動は開始される。
この胎動を準備する二つの要素は、冬に覆われても消えることがない。すなわち、絶え間のない時の循環と、変わることのない母胎のぬくもりである。時の巡りと母なるぬくもりのみが、次なる季節の到来を保証する。
私たちは皆、小さな宇宙である。それぞれが心の中にあたたかな源泉を持っている。芽生えるべき種、かえるべき卵は、そこであたためられて芽生え、孵化する。
私は思う。母胎の外が冷たくなればなるほど、その内部はあたたかくなると。ぬくもりの不変であるがゆえに、外部の変化に相対して内部はいよいよぬくもりを増すように思われるのだ。
そのぬくもりは、じぶん自身をもはっとさせるほどの存在感を発揮する。だからじぶんは内向きになる。懐かしい興奮を伴ったまなざしで、じぶんの奥深いところにあるあたたかな泉を見つめなおすのである。
そのときじぶんは、これまで気に留めてこなかったある重大な事実に気付く。じぶんは心の奥底に、かえすべき卵を抱えているのだ、という。そうしてじぶんは、その卵を一心にあたためはじめる。なぜ今まで気付かなかったのだろうと後悔しながら。もう手遅れではないかと焦りながら。しかしなによりも、来たる春、無事にかえることを願いながら。
それでもぬくもりがあまるならば、じぶんはじぶん以外の人をあたためたいと思う。あるいは、じぶんとじぶん以外の人が共通に持つ大きな卵をあたためたいと思う。人と人とが体を寄せ合って、ただひたすらに照らしあい温めあう。それが冬を生きるものに課せられた使命であり、希望である。
外は、ますます冷たくなる。心の灯火は、ますます燃え上がる。どんな春が待っているのか、それは誰にもわからない。
* * *
中学生の頃、担任の先生に「将来、器用貧乏にならないようにね。」と言われたことがあるのを、ふと思い出した。器用貧乏というのは、広辞苑によれば『なまじ器用なために、あれこれと気が多く、また都合よく使われて大成しないこと。』であるらしい。器用かどうかはさておいて、『あれこれと気が多い』というのは、非常に自分にあてはまるような気がする。クラシックバレエ、オーケストラ、写真、絵・・・ぱっと思い浮かべただけでも、これだけ様々なことに私は手を出している。興味があることに次々と手を出していった結果、こうなってしまったのであるが、勿論様々なことに手を出せば出すほど、一つのことにかけられる時間は少なくなっていく。もしかしたら、中学校の先生は、私が、様々なことに手を出しすぎて、やることが中途半端になり、結局どれも物にならないことを心配していたのかもしれない。
一つのことを集中的に行うのも勿論大切であるが、一見関係ないようなことでも何に役立つかわからない。ある分野のことを他の分野に活かせることも多い。寧ろ、物事をいかに他のことにも活用できるかどうかは自分次第だと思う。どうせやるなら、ある程度は物にして、自分のやっている様々なことをお互いに作用させて、高めていけたらいい。
今まで、すっかり忘れていた中学校の先生の言葉を今思い出すということは、もしかしたら、自分で気づいていなくても、やっていることが中途半端になりつつある、という警告なのかもしれない。忙しいことを理由に「まぁ、こんなもんでいいか」で終わってしまえば、取り組んでいる物事を、そして自分自身を、それ以上高めるのは不可能だ。今一度、気を引き締めて、何事も一生懸命、自分が満足するまで取り組む姿勢を大切にしたい。
とあるアンケートが公表されていて、質問のひとつに「1日が24時間でなかったとすると何時間が良い?」というものがありました。では、少し考えてみてください。
考えましたか?
ここでの統計結果は、「24時間」が5%、「25~29時間」が29%、「30~39時間」が41%、「40~49時間」が17%、「24時間未満」が8%でした。平均は32時間で、24時間以上と答えた人の割合は8割を超えます。皆さん、いかかでしたでしょうか。
私自身も考えてみました。まず睡眠時間があと2時間ほしい。掃除する時間が1週間にはあと3時間ほしい。だらだらする時間があと1時間はほしい。本を読む時間が2時間ほしい。音楽する時間が1時間ほしい。勉強時間が1時間ほしい。孝太郎の原稿にあと1時間ほしい…。計、最大で35時間。
やはり、24時間では足りないものです。これを考える間にも、もう少し要領良くしようと思うことしきり。やる気が起こらなかったり、思うように捗らなかったり。少し片づけしようと深夜に動くと、翌日寝坊して遅刻。全く、うまくいきません。
「1日は何で24時間なんや!」と不満を顔にして問われて、「24時間を1日としたからちゃうか?」と言ったことがありました。太陽が昇って沈んで、また昇ってだいたい24時間。そういう原始的な、アバウトな見方が最初だったと思います。翻って、現代は太陽に想いを馳せる暇もなくあくせくあくせくと動いているわけです。でもいつでもその人には寿命と言う限界があり、生きる時間は決まっているわけです。「今できることに時間が必要だ。」というのはもっともな感覚ですが、本来区切られない自分の時間感覚っていうものを、どこか留めておくぐらいがゆとりを生むように思います。
自分の時間感覚で動いてただのルーズになっては仕方ない。要領がいい人はそこの配分のできる人なんでしょうね。
――皆の友達などというものは結局誰の友達でもないのだ
誰か偉い人の遺した名言の様であるが、これは或る語学のテキストの和訳問題を私が訳してみたものである。
この問題の作者の意図としては、八方美人で居るというのも考え物ですよ、というぐらいの箴言なのだろうが、私としてはもう少し穿った(寧ろ捻くれた)読みをしてみたい。私には今「友好関係というものは総て何らかの敵の存在を前提としているのではないか」という仮説が浮かんでいる。この仮説を真とするならば、敵が居ないものには友達も居ないということになり、冒頭の箴言が帰結として得られることになる。
その昔、オーストリアの女帝マリア=テレジアは、プロイセンと対抗する為、長らく敵対していたフランスに娘アントワネットを嫁がせて国交を恢復した。中国国民党と共産党が合作していたのは、言うまでもなく、軍閥や日本に対抗していたときである。学生時代、共通項のない同級生と仲良くなるための話題といえば、大体が教師の悪口であったろう。「愛=憎×憎」などと書いてしまうと少し厭世的に過ぎるであろうか。
ところで、ここへ来てもう一つ、私の頭に浮かんだ考えは「何も敵が人間である必要はない」というものである。何か共通の事象を共に憎むのでも友人関係は成り立つであろう。人が生み出した「憎むべき事象」、例えば来週のテストが鬱陶しいとかであれば、畢竟教師が恨まれてしまうことになってしまうであろうが、人に由来しない「憎むべき事象」、例えば「この世の不条理」といったようなものであれば、誰もが共通して憎むことが出来るし、世界中の人と友達になることだって出来るのではないか。
当初の意に反して希望的な結論が出てきて私自身も驚いているが、こうすると新たな敵の可能性として浮かび上がってくるのが、神の創ったこの世の条理を愛している人たちである。いやはや、巧くはゆかないものだ。
烏丸通を歩きながら、いつも以上に無表情な街の雰囲気を私は感じとっていた。伏せがちだった視線をゆっくり上げてみると、無表情さの原因はすぐに分かった。街路樹の銀杏に葉が一枚もないのだ。今からまさに盛りを迎えようとしていた黄葉を前に、銀杏たちは幹とそれに付随する主だった枝のみを残し、小枝から葉からすべてを取り去られて立ちすくんでいた。
都市は季節を嫌う――私はそう思った。面倒だからだろう。散り積もった黄葉を掃除するのが面倒だからだろう。無論、銀杏の葉がスリップ事故の一因になることは私も承知している。だから、銀杏の枝をばっさりやってしまった行政当局をかたくなになじるつもりはない。ただ、私が感じるのは寂しさである。黄葉が排除の対象となることへの寂しさである。
時間概念には大きく分けて二種類あるとよく言われる。循環的時間観と直線的時間観がそれである。私は詳しくは知らないが、農耕社会の中で育まれていった循環型の時間概念が、時計の普及と工場労働の進展によって直線的になっていった、というのが概ねのところであろう。
季節とは、時間循環の過程を区切ったものであり、したがって農耕社会のありかたと密接に関係する。生活の糧となる植物が、いつ芽生え、花を咲かせ、実を結び、そしていつ枯れてゆくのか。あるいは家畜の繁殖期も季節の巡りにしたがってやってくる。季節とは、要は生まれたり死んだりすることなのだ。季節の巡りをつくりだすのは、生命の巡りである。
とすると、都市にとって季節はやっかいものだ。なぜなら生まれたり死んだりするからである。都市は死を禁忌とする。出来る限り隠そうとする。それは、都市の前提となる文明という名の巨大な生き物が、自らの死をどこまでも恐れるからだと私は思う。だからこそ都市は、生命の循環から目を背けるために、時間を左から右へ、不変という幻想とともにまっすぐに流した。そして都市は、二つの「生」――すなわち「生まれること」と「生きること」からも目をそらすようになった。
病院が出産を拒否するようになった。「命の大切さ」を「学校」で教えるようになった。
私は農耕社会に戻ろうなどと叫ぶものではない。しかし、生命の巡りを、ある種の諦観と寛容の心でもって受け入れることは必要だと思う。少なくとも私の幼児期においてはそうであった。父は、銀杏の落葉が織りなす黄色い絨毯の上を、文句も言わずのろのろ運転していた。誰に言われるでもなく掃除してくれる人がいて、それを手伝いに来る人がいて、数日後、車道は元のアスファルトに戻っていた。
街路樹の黄葉を愛でる、そのくらいの心の余裕を持たなくては、極度に合理化された都市に生ずる深刻なひずみの数々は、決して解消されえないように思う。