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先日、世界遺産を紹介するテレビ番組がイタリアのある建造物たちを特集しているのを目にした。アルベルベッロという地方にある、トゥルッリと呼ばれるとんがり屋根の可愛らしい家々であった。おとぎの国の物語に出てきそうなその屋根は、モルタルなどの接着剤を一切用いず、煉瓦とどの大きさの石灰岩を上手く組み合わせて円錐形に積み上げられる。トゥルッリは、職人が設計図なしに自身の手と目の感覚で作り上げる伝統的な方法で建てられる。その絶妙な形は芸術に等しく神秘的である一方、そのたたずまいが可愛らしくもある。住みにくいそこでの気候に合わせた様々な工夫が凝らしてあり、トゥルッリの中は人間の住処として心地よいものであるそうだ。
そこに一人のトゥルッリ職人が登場する。現在トゥルッリは世界遺産として保護されているが、遂にこの昔ながらの家の新築要請は途絶えたという。しかし、画面の向こうで彼はトゥルッリを作っていた。先代から受け継がれてきた技術と、経験によって研ぎ澄まされた勘でもって、あの美しい円錐形を作っていた。だがそれは、誰も住めやしない、高さ30cmにも満たない模型のトゥルッリであった。
私はその石灰岩のブロック1つ1つに、彼のトゥルッリへの愛と、そして悲しみが詰まっているような気がしてならなかった。もし彼が誰かのためにトゥルッリを作るのであれば、どんなにその熟練した腕が鳴ったことだろうか。小さな小さなトゥルッリは、私に伝統のあり方を問いかけていた。先代から伝えられる技術を継承し「伝統」と呼ばれる芸術作品を後世に遺していくことは確かに大切だ。技術だけではない、「伝統」が経験してきた歴史や人々の思いを絶やさないこともまた大切だ。その「芸術」に触れて、我々が「美しい」「素晴らしい」と思うことは失われてはならない。
しかし、ただ形を残してそれを享受するだけではいけない。トゥルッリのとんがり屋根に接着剤が用いられていないのは、当時の領主が課税を免れるのを目的にすぐに建物を壊せるようにしたためだ。トゥルッリに用いられる石材は、雨水をためるためにトゥルッリ内の地下室を掘った時のものだ。トゥルッリがこれほどまで機能的に、芸術的に美しくなったのは、人々の実用を介していたからに違いない。後世に伝えられるにつれて「よりよいものへ」という人々の思いが濃厚なまでに重ねられていく、それこそが「伝統」なのではないだろうか。
実用の失われた「伝統」は、昔の形・昔の型を楽しむためだけのものになっている。そういったものは、今後人々の心を魅了し続ける力を持ち合わせてはいないだろう。私たちの思いも及ばない遠い未来で、実用を通して愛され続けることこそが、「伝統」の本来的なあるべき姿なのだろう。
模型としてできることは、懐古趣味の人間の心を一時的に慰めることにすぎない。あの小さな模型のトゥルッリが悲しみをたたえているように見えたのは、本当の意味で愛される日をじっと待っていたからなのかもしれない。