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ひたひたと、世の中は冬に向かう。冬とはすなわち悲哀である。冬とはすなわち焦燥である。冬とはすなわち滅亡であり、終焉である。
早い話、冬は季節ではない。少なくとも季節らしくない季節である。春・夏・秋が築き上げてきた様々な季節らしい季節を、ことごとく崩し去ってしまう季節である。次なる季節はしかし、この冬の中で生まれる。滅びつくされたものの中から、全く新たに誕生するのである。前の季節に執着することなく、歴史上全く初めての経験として、その胎動は開始される。
この胎動を準備する二つの要素は、冬に覆われても消えることがない。すなわち、絶え間のない時の循環と、変わることのない母胎のぬくもりである。時の巡りと母なるぬくもりのみが、次なる季節の到来を保証する。
私たちは皆、小さな宇宙である。それぞれが心の中にあたたかな源泉を持っている。芽生えるべき種、かえるべき卵は、そこであたためられて芽生え、孵化する。
私は思う。母胎の外が冷たくなればなるほど、その内部はあたたかくなると。ぬくもりの不変であるがゆえに、外部の変化に相対して内部はいよいよぬくもりを増すように思われるのだ。
そのぬくもりは、じぶん自身をもはっとさせるほどの存在感を発揮する。だからじぶんは内向きになる。懐かしい興奮を伴ったまなざしで、じぶんの奥深いところにあるあたたかな泉を見つめなおすのである。
そのときじぶんは、これまで気に留めてこなかったある重大な事実に気付く。じぶんは心の奥底に、かえすべき卵を抱えているのだ、という。そうしてじぶんは、その卵を一心にあたためはじめる。なぜ今まで気付かなかったのだろうと後悔しながら。もう手遅れではないかと焦りながら。しかしなによりも、来たる春、無事にかえることを願いながら。
それでもぬくもりがあまるならば、じぶんはじぶん以外の人をあたためたいと思う。あるいは、じぶんとじぶん以外の人が共通に持つ大きな卵をあたためたいと思う。人と人とが体を寄せ合って、ただひたすらに照らしあい温めあう。それが冬を生きるものに課せられた使命であり、希望である。
外は、ますます冷たくなる。心の灯火は、ますます燃え上がる。どんな春が待っているのか、それは誰にもわからない。
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