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孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
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視覚―赤い、青い、黄色い、白い、黒い、明るい、暗い、濃い、淡い…
聴覚―高い、低い、うるさい、静かだ、…
味覚―甘い、辛い、酸い、苦い、渋い、…
触覚―熱い、冷たい、痛い、柔らかい、…
嗅覚―?

 嗅覚を形容する言葉というのは、考えてみると驚くほど少ない。「甘い匂い」「スパイシーな香り」だとか味覚に落とし込んでみたり、「生ゴミのような臭い」と物そのものに落とし込んでみたりしないと、我々は嗅覚を表現することができない。昔、理科の時間に「腐乱臭」とか「刺激臭」といった言葉が出てきたが、あまりしっくりこなかったものだ。
 かといって、人間の嗅覚が発達していないわけでは、決してないような気がする。私の経験では、全国のローソンはどこも同じにおいをしているし、全国のカラオケボックスも何となく同じにおいがする。私はその微妙なにおいを嗅ぎ分けることができている。
 これだけ繊細な嗅覚を持っていながら、それに言葉を当てはめようとしなかった先人の意図や如何に?
 その答えにはならないかも知れないが、我々の嗅覚は言語と結びつかないために、記憶を生のまま保存するのに役立っている、ということは言えるのでなかろうか。久しぶりに入った教室の木の香り、子どもの頃よく遊んだ近くのどぶ川の香り、昔のある場面がにおいによって一気にフラッシュバックするということはよくある。このにおいに「○□い」という言葉を与えてしまうと、他の「○□い」においの記憶と混合し、脳の中で勝手に整理され歪曲されてしまう。そうなると、図書館の本を言葉によって検索するようなもので、思い出すことはたやすいのだが、嗅覚はタイトルのない本である。その分、においそのものを嗅いだときのフラッシュバック度は絶大である。嗅覚には斯く特殊な役割があると思う。

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 いつも通りの電車で、いつも通り揺られ、いつも通り改作口をくぐり、いつも通り大学に向かって最早見慣れた道を歩いていた…筈だった。だけど、今日はどこか「いつも通り」ではない感覚がした。何が「いつも通り」ではないのか。
 それは、視界の広さだった。
 いつもよりも目の前が開けている感覚が「いつも通り」ではない原因だった。
 そこで、私は、最近常に自分が若干斜め下を向き、自分の立っている位置からほんの数メートル先しか見ずに歩いていることに初めて気づいた。たとえ前を向いていたとしても、遠くのほうまでは見えていなかったのだ。
 少し、いつもよりも上向きに、そしてより遠くを見るだけで、こうも見慣れた道が違ったものに見えるのか、と驚いた。以前このデイリー孝太郎で、学校まで行くのにいつもと少し違う道を通るだけで、見慣れた景色から新たな発見をすることができる、というようなことを書いたが、道を変えずとも、自分の視点を少しいつもと変えるだけで、見慣れた世界は姿を変えるのだ。

 いつもよりも少し上を向く。すると、果てしなく広がる空と、遠くに山の木々が見えた。
 視界は予想外に広かった。歩くうちに、次々と新たな発見をし、同時に自分がいかに周りを見られていなかったかに気付く。
 今日の天気はあいにく曇りだったけれど、不思議と気分は晴れやかで、明日もこの広がった視界を保てる気がした。

先日私は奈良に出向いた。目的は、まさに奈良観光のためである。駅を降りてまず飛び込んでくるのは、お決まりであるがまぶしい中学生の制服と至る所でのんびりとくつろいでいる鹿たちだ。そして周りには奈良時代を彷彿させる、異国情緒あふれる雄大な建造物たち。私の住まう京都も、修学旅行生と観光客の数ではあちらにもひけをとらないが、やはりこの光景は異様であろう。一言で印象を述べよと言われれば、緑の下地に白と茶色の絵の具の撒き散らしたような・・・で片付いてしまうのは、私の感性の拙さゆえであろうか。

 

 そんな奈良の地で、私が心惹かれたのは仏像たちであった。高校の日本史でお目にかかった数々の仏像たちというのは、大きなものは縮小され小さなものは拡大され図説という名の平面にぎゅうぎゅうづめに押し込まれていた。図説の仏像たちは、隣に配置された他の仏像の図との対比、もしくは異なる特色を持った他の文化との対比の目で見られていた。これはグプタ朝の影響を受けているだとか、これは漆で塗り固めてあるだとか、これは乱れた国を治めるために作られただとか、私の知る仏像の(断片的にしか過ぎない)知識は歴史の一部でしかなかった。調べればすぐに、誰もがこれらと同じ知識を得ることができる、客観的な事実でしかなかった。

 

言いたいことは「やっぱり生は違うなぁ」ということだ。人間と同じくらいの大きさのものと向き合って、かの有名な東大寺の大仏さんを見上げて、小さな仏様を愛しむように眺めて・・・いままで全部同じように見えていた仏像たちそれぞれに、命が吹き込まれたかのようであった。私は仏像一体だけをじいと見つめる。あるものは超然としていて、あるものは憤って今にも動き出さんとしている、そしてまたあるものはおどけた表情とポーズで私を笑わせる。それが何の文化に属し、何で作られているかなんてどうでもよかった。その感覚は、知らない人と初めて会ってみてその人柄に直接触れることで、事前に知らされていたその人に関する風評なんてどうでもよくなってしまうのに似ている。まぁ、あまりそんな状況下に置かれたことはないが。

 

この興奮をどうにかして伝えようと思った。しかしその方法はどうにも見つからなかったので、とにかく断片知識の1つを取り出して、「右の菩薩が唐風で、左の菩薩が日本風やねん。」と一緒についてきてくれた人につぶやいてみた。しかし、その言葉はただむなしく宙に消えてゆくだけだった。このとき、きっと周りの仏様たちにも私は笑われていたのだろなぁ。結局こうやって帰ってきてからも文字に還元できないのは歯がゆい。それゆえに、何につけても文字だけの理解を止めて、是非みなさんにも実際に足を運んで欲しい。こんな押し付けがましいことを言うのははばかられるが、やはり私は強く勧める。なんだって「生は違う」のだから。

  今私は、ジムにいて、進まない自転車をこいでいる。そしてまたしても、ギリギリに原稿をひねり出そうと心身共に汗水垂らしているところだ。
  私は、運動が好きである。ので、ジムで延々ウォーキングや自転車をこいだりするのもそんなに苦ではない。筋トレはそんなに好きではないけれど。しかし、運動が嫌いな人というのも、当然、いる。
  以前予備校で、ある教諭がこんな話をしていた。
「私は北海道出身だけれども、小学生のある時、関西に引っ越してきた。その時、夏に水泳をやらされた。北海道で水泳なんぞやらなかった自分だから、当然、泳げない。けれども教師は、泳げるようになるまで私をプールに残した。北海道では、誰もがスキーを出来て当然だが、それを他の地域から来た人に強制したりしない。スキーはよくて、水泳は出来なくてはいけないなんて、一体誰が決めたんだ。」
  ─大体こんな話だったと思う。
  とりあえず私もそれにはナルホドと思った記憶がある。よく考えれば…いや、よく考えなくとも、水泳出来なくたって生活は送れる。勿論、スキーも同様である。では、なぜ学校という場で、我々は水泳をしなくてはならないのか。
  これは、水泳を子供たちにやらせるというのは、スポーツを子供たちに"楽しむもの"として捉えてほしいという意図があるように、私には思われる。水泳を、体育というより体を動かすレジャーの一環として、捉えて欲しいという意図である。レジャーだから、各地域・各シーズンに密着したスポーツを選ぶ。
  であるからつまり、結局は私の場合、強制はせずとも、北海道に行けば北海道にてスキーを存分に楽しむべきじゃないか、スキーなんてレジャー楽しいに決まってるんだから、という立場となり、予備校の教諭の言いたかったであろうことからちょっと違った主張に行き着いてしまう。
  しかしながらそれはやはり、運動が好き、ひいてはスキーが好きであるが故の、運動嫌いの気持ちを解さない私であるが故の主張であって、う―ん、やっぱり何とも言えない。一方で私は、数学が嫌いだからやりたくないと、ぶ―たれていたわけで…。ま、好きな科目や嫌いな科目は誰にだってあるよね、とそれだけの話な気がしてきたよ。笑

まったくの偶然であるが、その日、私は「ポツンポツン」の筆者と大学構内ですれ違ったのだった。彼女がいつも以上に輝いて見えたのは、失礼ながら、昼下がりの太陽が後ろから照らすせいだと思ったが、どうもそうではないらしい。未知の世界に飛び込み、新しい何かを始める、その意気込みが輝いていたのだと改めて思う。〈みすぼらしい「私」〉とやらからは、もうすでに脱出できていたのではないだろうか。

 

建築学に、キー・ストーンという重要な概念がある。アーチを組む時、最後に頂点にはめ込む石のことだ。ローマ帝国の遺跡(たとえばコロッセウムの外壁)などを思い浮かべるとよいだろう。周りの石に支えられながら、すべての石を支えている。ひとたびキー・ストーンが外れれば、いや少しずれるだけでも、アーチ構造は文字通り瓦解する。

「ポツンポツン」を読んで、文中の「私」のイメージがキー・ストーンのそれと重なった。「私」とは、ほかでもない、「私にとっての世界」の頂点に君臨する存在である。私が消えても世界はあり続けるだろうが、それは秩序をなすアーチとしてではもはやなく、無意味に崩れ去った「石片」として存在するにすぎない。

もちろん「私」は世界の中にあって世界によって支えられているが、同時かつ逆説的に世界は「私」によって支えられている。もし、世界がきらびやかであり、「私」がみすぼらしいとするならば、「私」はこの世界から抜け出ることができない。抜け出たとたんに眩き世界は崩壊し、みすぼらしい「私」だけが残る。「私」は「みすぼらしい」点において憎むべき存在だが、「世界を支えている」点においてすばらしき存在なのである。世界が眩くなればなるほど、「私」がみすぼらしくなればなるほど、世界と「私」とはより密接な関係をはぐくむようになる。そして「私」の存在は、世界の中で、より確固たるものになってゆく。その意味で、人は皆、華やかな石片に支えられた「みすぼらしいキー・ストーン」である。デパートの一階を歩く客たちも、店員も、女も男も、たぶん、おそらく、皆そうである。

 

「ポツンポツン」の筆者が輝いて見えたのは、失礼ながら、やはり昼下がりの太陽が後ろから照らすせいだったかもしれない。
 なんだかんだと、慌ただしく過ごす毎日。ふと気付けば、6月も半ばだ。最近は、あまり身の周りの自然には目を向けられていないのだけれど、否応なしに感じる湿気から、梅雨の季節だな、と思う。この前も、友人と喋りながら、ふと視線を横に向けると、ちょうどそこにあじさいが咲いているのが目に入って、小さい頃は、青いものと赤いものの2種類のあじさいがあると思っていたことを思い出した。
  花の色の違いは、実は土の酸性度の違いによるということを知ったのはいつだったか。あじさいの液胞に含まれる色素、アントシアニンは、溶液が酸性だと赤色、アルカリ性だと青色になる。あじさいの花の色の違いには、このアントシアニンが深く関係しているのだが、実際に、あじさいが酸性だと赤色、アルカリ性だと青色、というわけではないらしい。
  あじさいの液胞のpHを調べると、確かに、赤いものと青いものとでは値が違うが、どちらも酸性の範囲のようだ。では、何が色の違いを生み出しているかというと、液胞のアルミニウムの濃度の違いによるらしい。アルミニウムが根からあじさいに吸収されると青く、吸収されないと赤くなるのだ。つまり、酸性土壌だとアルミニウムは溶けやすくなると同時に、アルミニウムがあじさいに吸収されやすくなるので、青色になり、逆にアルカリ性土壌だと赤色になるというわけだ。
  日本の土壌は酸性土なので青色が多いが、欧州ではアルカリ性土のため、ピンク系の色のあじさいが多く見られるらしい。あじさいについて調べるうちに、色の変化に富むあじさいは日本独自のもの、ということも目にしたので、本当なのかどうか、もう少し詳しく調べたいと思った。

 筆者は、さだまさしの一ファンである。また妙な出だしで失礼ですが。好みの話を羅列しても仕方ないので自主規制します。

 

 先日この人の歌を聴いていると、声が違うなあ、と思うところがあって、調べてみると相当若い時の録音でした。さださんはそれこそ高校生の時に作ったというような歌を今でも歌ってらっしゃいますが、それに「声を潰した」というご自身の経験が加わって、今と昔ではかなり異なる感じになっているようです。

 

 どの音楽家にも言えることですが、新曲が出て、名曲が生まれるのは嬉しいことです。でもその音楽を、昔の状態で聴けることはあり得ないわけです。音楽家自身も変化し、我々もどんどん変化し。一曲を歌い継ぐ音楽家がちょっと少ないというのは別問題であるのですが、ある一曲もどんどんと印象が変わり、醸造されていくかのように感じる時があります。ですから、初期の名曲に早く出会えたときは一番幸せかもなあと考えています。これがどう変化していくだろうか、と。

 

 陳腐な指摘ですが、もちろん音楽に限った話ではないわけです。本にせよ、言葉にせよ、人にせよ。これらがどんどんと自分の中で深まっていく。そう考えてみるといろんな物に出会うだけでも儲けもんだなあとよく感じます。出会うだけでいろんな可能性が増えていく。

 

 でもまあ、良いものはいつ出会っても良いものだよね、とも考えながら、あまり友人と共有し得ないさだまさしの新曲情報にも注意を払っている筆者でありました。

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