孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
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筆者は、さだまさしの一ファンである。また妙な出だしで失礼ですが。好みの話を羅列しても仕方ないので自主規制します。
先日この人の歌を聴いていると、声が違うなあ、と思うところがあって、調べてみると相当若い時の録音でした。さださんはそれこそ高校生の時に作ったというような歌を今でも歌ってらっしゃいますが、それに「声を潰した」というご自身の経験が加わって、今と昔ではかなり異なる感じになっているようです。
どの音楽家にも言えることですが、新曲が出て、名曲が生まれるのは嬉しいことです。でもその音楽を、昔の状態で聴けることはあり得ないわけです。音楽家自身も変化し、我々もどんどん変化し。一曲を歌い継ぐ音楽家がちょっと少ないというのは別問題であるのですが、ある一曲もどんどんと印象が変わり、醸造されていくかのように感じる時があります。ですから、初期の名曲に早く出会えたときは一番幸せかもなあと考えています。これがどう変化していくだろうか、と。
陳腐な指摘ですが、もちろん音楽に限った話ではないわけです。本にせよ、言葉にせよ、人にせよ。これらがどんどんと自分の中で深まっていく。そう考えてみるといろんな物に出会うだけでも儲けもんだなあとよく感じます。出会うだけでいろんな可能性が増えていく。
でもまあ、良いものはいつ出会っても良いものだよね、とも考えながら、あまり友人と共有し得ないさだまさしの新曲情報にも注意を払っている筆者でありました。
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