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追憶の線引き

 

私の趣味は過去の思い出に浸ることだ。と、言ってもいいくらいに自分の日記やアルバムを見返すことが好きである。何時間も何度も見返すのだ。そうして浪費した時間と行為の不毛さを目の当たりにして、その追憶の行事は幕を閉じる・・・というのがいつものパターンである。

今よりもっと拙い文章、住む世界の狭さ、あどけない表情・・・過去の私はまるで私でないみたいだ。一方で、その日記を書いたときの自分の思い、その写真を撮ったときの自分の気持ち多くの共感とともに、今もありありと蘇ってくる。

 

思えば、いつからが過去の自分で、いつからが現在の自分なのだろう。時間の流れに沿って刻々と自分は更新されてゆくので、現在の自分は「今このとき」の一瞬の存在でしかない。これが厳密には(そして一般的には)過去と現在の区別だろう。しかし、私はここではそんな細かいことを言っているのではない。「あの頃は子供だったなぁ。今ならばそんな事はしないのに。」と、当時の自分を振り返る時が多くの人にはあるだろう。そういうような、今現在の自分の行動パターンや思考パターンと、大きくかけはなれた「過去の自分」のことを言っている。

 

日記を何度も読むといったが、おそらく読むたびごとに私の捉え方も多くの変化を遂げているのだろう。日記を書いた「過去の自分」を、より「現在の自分」に近くなるように解釈しているのかもしれないし、逆に「現在」との差異を見出すように解釈しているのかもしれない。

いずれにせよ追憶によって「過去の自分」を捉えなおすことは建設的とまでは言えないが、少なくとも無意味ではないだろう。歩んできた歴史を振り返り、過ちを犯さぬよう対策を考えるように、「未来の自分」に何かしらの導を与えてくれるものであればいいのだが。

 

そんな希望を抱きながら(半ば慰めとも言えるかもしれない)、私は追憶の喜びに浸って毎日をすごしている。

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  さてさて。夏だなんだと言う前に、そうだった、6月、梅雨があった。
  大地の恵みであるのは分かっているけれども、それでも私は雨が嫌いだ。・・・いや、というより、人工の街に雨が降る様が、嫌いだ、と言ったほうが正しい気がする。
  何故だろう、冷たい灰色のコンクリートの色が、びしゃびしゃとこれまた灰色の空から降る雨によって更に色を失っていくのをみるのは、街が喪服を着ているようで、何とも言えずうすら寒い気持ちになる。それが連続で展開されるというのだから、梅雨は私の天敵ともいえるだろう。
  さてまた、6月はジューンブライドとか言ってこの月に結婚すれば幸せになれるという月でもある。日本国民、横文字を投入されたは良いが、けれどしかしここは日本。梅雨を忘れてもらっちゃあ、困る。濡れるよタキシード。水吸うよウエディングドレス。どうして雨の降る確率が高いこの時期に、あえて挙式したいと思うのだ ろう。ジューンの語源で結婚の神であるユノを奉るより、それなら日本式に伊邪那岐命とかを奉ったら良いじゃないか。・・・・と思ったら、あ、そうか、楽しみがない。伊邪那岐命じゃ、暦の上の「結婚すれば幸せになれる期間」を楽しめない。やっぱり何だかんだ言って、ひとまず縁起は担いでおきたい、そんな日本人の性に、 「ジューンブライド」は聞き捨てならない言葉であり、「いざなぎ新婦」の出る幕はなかったということなのであろう。
  だが、因みに私は縁起を担がない人であり、やはり6月結婚に魅力は感じない、残念なことに。

 先日読んだ新聞記事からの話です。昨年,酷暑となりながら,稲の収穫の規模は「平年並み」か「やや不良」程度で,かつ8割以上が問題を抱えるという予想と裏腹に,1割程度との報告しか来なかった,というものです。

 

 稲はこれまで冷害,風害,虫害,病気については深刻に討議され,改良を重ねられてきました。小学校で「バケツ稲作り」をやった人はもしかしたら覚えているかも分かりませんが,コシヒカリも,収穫量が高くなるよう,風害に強くなるよう作られ,さらに稲熱病に対応したものが作られ,などというようにどんどん改良されたのですが,猛暑に対してはあまり研究がされてこなかったようです。それ故,深刻な影響が去年は懸念されていました。筆者の実家でも,今育てている品種はもう数年で終わり,マンゴーの生産にシフトしようかと議論しておりました。嘘です。後半は。

 

 そんな中の調査結果です。まだ分からないところが多いとはいえ,驚きました。稲といったらそれこそ手間ひまかかる,管理してなんぼの作物と思っていました。台風が来れば倒れないように,雨が降らなけりゃ乾かないように,逆に降りすぎたら腐らないように,寒くなったら凍えないように,虫がついたら食われないように,いろんな手立てを尽くして,そうして秋をやれやれと迎える,みたいな印象だったのです。それが,あの酷暑に耐えた,と。

 

 もともと稲は多年生の植物です。一部,自然淘汰の中で一年生になったものもあるようですが。二年目以降に収穫量ががた落ちするので一年で収穫しているだけで,もっと生きる力は充分に持っている植物です。「麦は踏まれて強くなる」という風に,同じイネ科でもタフに扱われる麦たちに比べてどうも印象は薄かったのですが。しかし人間でも倒れた熱射に耐えたところをみると,どうも稲を貴婦人扱いばかりも出来ないようです。そりゃあ今年は熱くもなく台風も来ず,豊作になってほしいですが,知らないところにあった意外な一面がもっと明らかになってもほしいなあと思うのでした。
 恥ずかしながら「手前味噌」という言葉の意味用法を私が覚えたのは、多分ここ一年ぐらいのことである。
 理由としては、「手前味噌になりますが~」といって人が語り出した内容は、件の前置きが無くても文脈的にすっきり通るため、どういう意味か調べてみようとあまり思わなかったから。仮に思って、調べたとて、「自分で自分のことをほめること。自慢。」などと辞書には載っているので、ほな自慢でええやん、と考えて頭に入れるのを拒否していたのだと思う。
 ところが最近、この言葉が使えるようになってきた。別に自慢できることが増えたわけでもない。それでもこの言葉の真価に気がつきはじめた。
 「自慢になりますが~」で話してしまうと、話し手としては「自慢ですが」と言うことで印象をマイルドにしたいと思いつつも、そこに一抹の厚かましさというかいやらしさ(そんなにマイルドにしてまで自慢したいのか、図々しい。)を感じられては居ないだろうかというジレンマに陥ってしまうし(私が気にしすぎなのだろうか?)、聞き手だってやはり「自慢を垂れているなあ」と思って聞いてしまうだろう。一般的にそういうものだろう。「少々言葉はきつくなるが」と前置きされた話はすごくきつくなるし、「不謹慎かも知れないが」と前置きされた話は大方すごく不謹慎だ。
 しかし、日常会話において、或る自分に関する事柄を提示しなければ話が進まない、といったときに、自慢することが主目的では無いのに、結果としてそれが自慢になってしまう、というのはよくあることだ。そんなときに「手前味噌ですが」を使うと、「自慢するつもりで言うんじゃないんですけどね」というインプリシットがあるように思うのだ。
 そもそも味噌は調味料であって、現代の我々の観念ではあまり自慢するようなものではない。それでも慣用的に、味噌の話をすると自慢することになってしまうので、手前味噌になってはしまいますが、一応味噌の話をさせていただきますよー、という感じ。慣用句特有の、現代感覚とのズレが、逆にうまく効いて、この言葉に貴重な価値を与えているのだと思う。
 いつからか、私の家の勝手口のドアに、ヤモリが棲みついている。ヤモリは、日本では、昔から家に棲みついて、害虫等を食べてくれることから「家守」とも書かれることを知っていたので、追い払うこともせずに放っておいたところ、毎年、夏が近くなってくると、いつの間にか勝手口のドアに張り付くようになった。当初、勝手口のすりガラス越しに見える、張り付いたヤモリのお腹などは、非常に気味の悪いものだったのだが、時間が経つと共に、不思議と愛着が湧いてくるもので、私の家では「ヤモちゃん」の愛称で呼ばれている。
 さて、すっかり私の家族に馴染みつつある「ヤモちゃん」だが、実のところ、どのような生物なのか、あまり知らない。そもそも、毎年「ヤモちゃん」と呼んでいるヤモリは、果たして同一のヤモリなのだろうか。
 調べてみたところ、「ヤモちゃん」の正式名称はニホンヤモリというらしい。夜行性で、昼間は、家の戸袋等の隙間を住処にしており、日が暮れる頃になると、灯りに集まる虫を狙って出てくる。冬になると姿を見せなくなるので、冬眠しているのかと思っていたが、もともと南方系の生物なので、どうやら冬眠はせずに、家の戸袋などの温度が一定した所で冬をやり過ごしているようだ。(ちなみに、南方系の生物といったが、もともとは、日本には分布していなかった生物だと言われている。過去に大陸から運ばれてきた木材などにくっついて日本に渡ってきたというのが、通説なのだそうだ。)
 気になっていた寿命だが、大体3~5年のようだ。確か、初めて「ヤモちゃん」のことを目にしたのが、高校1年くらいのときだったから、今、勝手口に張り付いているのは、同一のヤモリか、もしくは2代目「ヤモちゃん」といったところだろう。

 先ほど、冷蔵庫に水を取りにいったら、今年も「ヤモちゃん」が張り付いていた。いつの間にやら、丸々と太って大きくなったその姿は、再び、少々の気味悪さを感じさせる。
 夏ももうすぐだ。

Present for you

 

「贈与」という行為について、先日授業で習った。古くから他人に贈る物や贈る行為には、人間の魂が乗っかっているとされてきた。それゆえに、われわれは「お返しをせなアカン(=互酬性)」と感じるわけである。また、死者の埋葬の際に財物を供えたり、一緒に棺に入れたりするという行為にもその性質が見て取れるという。

 

しかし、キリスト教が主流の西欧社会では死者を生きているかの如く扱うことはしないため、世界史のわりと早い時期からそういった供え物の類が成されなくなった。また、一般の贈与(プレゼントをあげたりだとか)の基盤は、人道精神・愛情なのだからお返しは不要だという考えが通説になった。他には中世に盛んになった教会への寄進(=これは見返りを求めていない贈与)の影響も多大にあり、結果西洋には贈与を受けた際の「お返しをせなアカン」精神が発達しなかったそうだ。

 

逆に日本の(東洋の)その「お返し」精神は、封建社会(御恩と奉公etc)との関わりが強かっただの、それは契約の概念から生じただの様々に言われている。(らしい)

 

学説がどうであれ、現代の私たちもやっぱり何かを貰えば「お返しをせなアカン」と当たり前のように感じるは事実だ。西洋でその感覚が薄いと聞いて、なんだかびっくりしたくらいだ。「義理」だとか「恩」だとかはあまに日常的には使わなくなったが、「お返し」精神は連綿と続いている。確かに「お返し」も度が過ぎると良くない。本来の歓送迎会・忘新年会の意味を失った宴会のやりすぎ、形式化した中元歳暮、何割以上と決まったお祝い返しや香典返し・・・「贈与」についてのなんだか不思議な慣習は数多くある。けれど、何かを貰ったときやしてもらったとき「これは相手の好意だから」といってただ貰うだけでなく、「お返しをせなアカン」と反射的に感じてしまう方がよっぽど人間臭くて、私は好きだ。自分が尊大になっていたら「ありがとう」なんて気持ちは、すぐに忘れ去ってしまうものだ。いつも私たちに「ありがとう」と思い出させてくれる、その役割だけでも「お返し」精神の存在価値は十分にあるだろう、そう思った。
 最近暑い日が続き、日も長くなっている。もうじき夏である。そろそろ、夏の匂いがしてもよい頃だ。
  夏は夏の匂いがする。冬は冬の匂いがする。これは、筆者にしか分からないのかも知れないし、思いのほか多くの人が思っていることかも知れない。夏は、開放感あふれる、紺色の夜空と夏草と冷奴の風が流れる。冬は、せまい空間の中で、ぴんと張った空気にガスファンヒーターの匂いが混ざった、周りが寒いが故 の温かさをもった空気が充満する。どちらが良い悪いというわけでなく、ただ、その匂いを感じて季節の到来を肌で知った時の、幸せな気持ちをもたらしてくれる。
  古くから日本人はそうだったのだろう。季節の変化に富んでいるこの島国で、春夏秋冬それぞれの季語を体感することによって、季節それぞれを楽しみ、憂い、心を震わす。もしかすると、今、過去の火鉢はファンヒーターかもしれない。もしかすると、過去の扇がうちわかもしれない。ひょっとすると逆に、空に浮 かぶ夏の星座は、ほとんど全く同じかもしれない。けれどそんなことよりも、人々が季節の匂いにふと立ち止まるのは、今も昔も、季節が巡る限り、きっと変わらないであろう。豊かな四季のある島国で、人々はこれからも四季に心動かされる、どうかそうあってほしいと思う、筆者なのでした。
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