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まったくの偶然であるが、その日、私は「ポツンポツン」の筆者と大学構内ですれ違ったのだった。彼女がいつも以上に輝いて見えたのは、失礼ながら、昼下がりの太陽が後ろから照らすせいだと思ったが、どうもそうではないらしい。未知の世界に飛び込み、新しい何かを始める、その意気込みが輝いていたのだと改めて思う。〈みすぼらしい「私」〉とやらからは、もうすでに脱出できていたのではないだろうか。
建築学に、キー・ストーンという重要な概念がある。アーチを組む時、最後に頂点にはめ込む石のことだ。ローマ帝国の遺跡(たとえばコロッセウムの外壁)などを思い浮かべるとよいだろう。周りの石に支えられながら、すべての石を支えている。ひとたびキー・ストーンが外れれば、いや少しずれるだけでも、アーチ構造は文字通り瓦解する。
「ポツンポツン」を読んで、文中の「私」のイメージがキー・ストーンのそれと重なった。「私」とは、ほかでもない、「私にとっての世界」の頂点に君臨する存在である。私が消えても世界はあり続けるだろうが、それは秩序をなすアーチとしてではもはやなく、無意味に崩れ去った「石片」として存在するにすぎない。
もちろん「私」は世界の中にあって世界によって支えられているが、同時かつ逆説的に世界は「私」によって支えられている。もし、世界がきらびやかであり、「私」がみすぼらしいとするならば、「私」はこの世界から抜け出ることができない。抜け出たとたんに眩き世界は崩壊し、みすぼらしい「私」だけが残る。「私」は「みすぼらしい」点において憎むべき存在だが、「世界を支えている」点においてすばらしき存在なのである。世界が眩くなればなるほど、「私」がみすぼらしくなればなるほど、世界と「私」とはより密接な関係をはぐくむようになる。そして「私」の存在は、世界の中で、より確固たるものになってゆく。その意味で、人は皆、華やかな石片に支えられた「みすぼらしいキー・ストーン」である。デパートの一階を歩く客たちも、店員も、女も男も、たぶん、おそらく、皆そうである。