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先日yahooニュースか何かで、赤ん坊の笑顔に対する母親の喜びは麻薬を摂取したときの喜びに似る、という科学的な説が提唱されたということを知りました。大変面白いニュースだと思います。

 赤ん坊の笑顔に対する喜び――それは子に対する母の愛の源泉であるでしょう。母の子に対する無償の愛というのは、正に人類の宝と言うべき習性であり、人類の多くがそこに究極の、聖なる美を見い出してきました。時代が進むにつれて、もともと当たり前と考えられてきた様々なものが理性によって疑われ、猫の可愛らしい仕草さえも機械的な反応に過ぎないと一蹴する怪しからん輩もいるという世の中になったのに、母親の子に対する愛は現在に至るまで冒涜されたことなどないに等しいほど尊いものであり続けていたのです。

 そんな愛の感情が、世間一般では悪者扱いされる麻薬によってもたらされる快楽と根が同じものであるというのが今回の説です。今はまだただの一説に過ぎない扱いですが、これが更に真実味を帯びてきたら、一体世の中はどうなるのでしょうか?母親の愛もつまらないものなんだという意見が広まってしまうのでしょうか?

 多分そんなことはないですね。多くの人に共有される素晴らしい愛の感情は決して貶められることはないでしょう。それに、子に対する母親の愛は、我々人類が存続する上で欠かせないものであるはずです。我々に必要なことは正しいことと認められてしかるべきです。社会というのは色々なものに線引きしますが、その根本はやはり社会の維持に必要だからという理由があると思います。だからどれほど麻薬と同じ仕組みが働いていたとしても、母親の愛の感情は麻薬と同じものではあり得ません。

 そうはいっても、やはり面白い説です。子を生むと女性は途端に母親らしさを身につけるというのはよく聞く話ですが、もしかするとこうした麻薬のような赤ん坊の笑顔が、女性を母親にするのかもしれません。赤ん坊の笑顔にイカれちまって母親になる…と聞くと、何だかそれほど悪いもののようには思えない。不思議ですね。
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  神戸にある「人と防災未来センター」というところに行ってきました。阪神・淡路大震災の記念館的存在で,震災追体験及び記録保存・提供の場である防災未来館と,「いのちの尊さ」を訴える,ひと未来館が併設されている施設です。

 

 防災未来館→ひと未来館の順序で見て回ることになってました。各館上から順に一方通行で見ていく方式です。まず,防災未来館は順に「追体験フロア→震災の記録フロア→防災・減災フロア」でした。最初の追体験フロアでは震災発生の瞬間の再現映像をシアター方式で体験,ガレキとなった町のジオラマを歩き,復興ドキュメントの鑑賞と移ります。次の震災の記録フロアでは復興のメッセージとジオラマの時系列配置と,被災者からの提供資料展示,語り部の方のお話が体験でき,最後のフロアでは世界の災害と対策,及び災害と防災・「減災」(災害が起こることを前提としてその被害軽減を前もって行うこと)への知識を深めることが出来ます。

 

 印象に残ったのは最初の「追体験」でした。阪神淡路大震災当時筆者は5歳で,ゆれが発生した時は兄と布団を並べて寝ており,ゆれで眼が覚めると母親が必死に箪笥が倒れないよう押さえていた,という記憶があるのみです。それ以後,さまざまな機会で震災について学び,一応は経験の記憶もあるためある程度理解していました。

 しかし,それ以後の映像ドキュメンタリーでも,「音」の体験,それも「発生瞬間の音」については,テレビ局の内部を映した映像くらいしかしてきませんでした。被災者の中にはまだ当時の情景がフラッシュバックしてきてしまう方もいらっしゃるため,公の放送などではダイレクトに地震を想起させるものは含まれないのでしょう(9・11の飛行機突入の映像も同じですね)。再現映像とはいえ,食器,ガラスが割れ,ビルが崩れ,電車が脱線し,人々が泣き崩れる映像に「音」とともに触れると,これまで見てきたある意味“きれいな”映像で一般に感じられる「凄い」とか「怖い」とかいう感情を凌駕したような切迫が,真っ直ぐ掴みかかってくるかのような印象を受けました。

 

 おそらく,無害化した映像だけでは伝えきれないものがあり,それしか知らないなら事実上体験は「風化」してしまうのでしょう。これが戦争規模になると技術,心理両面で難しさはありますが,同様のことが当てはまるかもしれません。あ,もちろんだからといって戦争を体験することが平和につながり,進んで戦場に行けなどとは言いません。今回は「音」というものが残っており,それに触れることが出来たからこそよけいに感じたということです。「音」がなかなか残っていない事柄は,それこそ想像力で風化から救うことが勝負になるでしょう。

 

 次のひと未来館は,何故海浜都市神戸でブナ林の四季を見たり,脳科学をビデオ鑑賞してるのだろうと思ったりしながら,よくある科学センター見学のような気分でいい暇つぶし体験をしてきました。閉館ギリギリになっていたこと(本気で防災未来館見ると半日かかる)で,人がガラガラで,中国から来た人と木の実の話をしたりできたという,まあそれはそれで面白い経験でした。

 

人と防災未来センター   http:www.dri.ne.jp
蒸し暑い日が続く中、私は未だに3日に1度くらいは長袖のカーディガンをはおって大学へ行くので、周りの友人に驚かれる。というよりか、嫌がられる。友人曰く「見てるこっちが暑くなる」そうだ。私は何も、何の意味もなく長袖のカーディガンをはおっていくわけでも、はたまた誰かとどこまで暑さに耐えられるかを競っているわけでもない。私がこの時期に長袖を選ぶ理由のうち10%は日焼け防止、90%は冷房対策が占めているのだ。
 私は、毎日電車通学である。蒸し暑い外から、電車の中に入る瞬間に感じるあの温度差には時々頭が痛くなってしまう。夏は暑いはずなのに、なぜか電車の中では、物凄く寒い思いをするのだ。暑ければ、袖をまくればいいが、寒さに耐えられないときには、何かはおるものでもなければ、どうしようもない。鞄にわざわざ毎日はおるものを入れていくのも、面倒くさいな、という気持ちもあって、私は長袖のカーディガンを着ていくわけである。
 さてさて。そんな寒い電車を始めとする、公共の場の冷房設定温度はどのくらいなのであろうか。インターネットで軽く検索をかけてみたところ、どうやら26℃程度が一般的なようだ。政府が冷房の設定温度28℃を推奨し始めたのに合わせて、設定温度を1℃あげて27℃にしてみた電車やデパートもあったようだが、その途端、「暑い」というクレームが続出して、結局26℃に戻したという話もあった。どうやら、人間というのは外の気温より中の気温が2℃程度低くないと快適に感じないらしく、どうしてもきつめの空調になるのだそうだ。今まで、私は公共施設を運営している側がどうして設定温度を上げないのかと、少し不満に思っていた。だが、実際、公共施設内で働いている人たちは、ずっと施設内にいるのだから、身体が冷え切ってしまって、本当に辛いらしく、下着を2枚重ね着するなど防寒対策をしなければならないという話もあって、設定温度が低いのは、公共施設を利用している側に原因があるのか、となんだか少し驚いてしまった。
 寒いなら、何かをはおればいいが、暑い場合は脱ぐにも限界があるから、寒い人が対策をしろ、という意見も聞いたことがある。しかし、温度差によって、身体に変調をきたす話はよく聞くことであるし、冷房を過剰に効かすのは、環境にも悪影響があることであるから、もう少しなんとかならないものだろうか。そんなことを考えながら、今日も私は、長袖のカーディガンをはおって寒い電車に乗ったのだった。

凶と狂

 

ひどく疲れていたせいだと思う。貧血が起こった時のように、視界が白んでゆき、周囲の物音が私から離れてゆく。心を鬼にする方法を考えていた時のことだった。

 

心を鬼に・・・きっと人を憎むことは容易い。しかしそれを表現することが、私にはどうしてもできない。嫌いでも、辛くても、悔しくても、笑うことしか出来ない。きっと、憎まれるのが怖いからだ。なんて保身的なのだろう。

 

基本的に私は楽観主義者だ。なんでもお気楽に捉えるし、みんなが大好きだ。それは事実。

 

でも、心を鬼に・・・と念じているうちに、私でない私の感情が支配的になった。これを口にすればきっとあなたは私を軽蔑するだろう。なぜならその感情とは「人を傷つけたい。」というものだったから。

 

突然生まれた「凶」に対して、最初は「そんなばかな。」といつものように笑い飛ばそうとした。しかし、消そうと思っても湧き出ずる水のように、その感情は拭い去ることができなかった。その時ふと大量殺人犯にどこかでシンパシーを感じ、奈落の底に落ちるような感覚に襲われた。

 

拭い去ることができないとわかった結果、私は自分が狂ってしまったと思った。いや、狂っていたのに気づかなかったのかもしれない。もう、偽善者の皮を脱ぎされば、後に残るは「狂」の世界だ。

 

「凶」と「狂」に支配され、ものや人に八つ当たりをするでも無く、私はその場で動けなくなった。くにゃっと力の抜けた体は、ベンチに張り付いた。息を荒げることも声も上げることもできなかった。ただただ無機的に、まなこからしずくが落ちただけだった。
  腑抜けた話をする。今日は国文学演習という授業があった。今日締め切りのこの授業のレポートを出していなかった私は、朝早急にそれを仕上げて、遅れて授業に参加した。
  その授業は生徒の発表形式で、1時間くらい、出ない質問を待つ時間となるような授業である。当然、と言ってはいけないのだろうが、だがしかしやはり、生徒の多くが寝ている。教授には研究室の補助の学生が二人ついており、そのうちの男性の方が、発表者を質問責めにして沈黙の質問時間の大半をもたせている。
  今日は途中で補助プリントの追加配布があり、その補助の学生さん二人が一人一人に配って下さった。ばたばたと眠りこけている学生たちを見て、苦笑いをしながら、男性の方が「そりゃ眠いよね」と言っていた。学生を質問責めにしていた彼はその辺のことに厳しいのだと思っていたから、意外に思った。
  …ら、やっぱりというか何というか、授業が終わって人もまばらになった頃、
「正直すぎるんだよ(怒」

という呟きを耳に挟んで、ああやっぱりと思った。それだけの、つまらない話。本音と建て前の話。 

総務省の「国民のための情報セキュリティサイト」というものを参照する機会がありました。インターネット利用上のよくある問題を扱っていて、「みんなが利用するものだからこそ、正しい知識と対策によって、安心して便利なインターネットを活用しましょう。このホームページでは、インターネットと情報セキュリティの知識の習得に役立ち、利用方法に応じた情報セキュリティ対策を講じるための基本となる情報をご提供」するそうです。初心者コーナー、エンドユーザー、ホームページの開設者、企業、と分かれて事例と対策が述べられています。

 

それ自体はどうってことのない内容なのですが、面白いのは初心者向けのコーナーには「一般」と「小学生」の二種類があることです。何が違うのか、見てみました。「初心者」のコーナーに入ったところ。一般の場合は以下のような文章が表示されます。C&P(コピー&ペースト)してみます。

 

「情報セキュリティ」とは、コンピュータとそのコンピュータにおけるさまざまな情報を守ることを言います。

 私たちの日常の社会における犯罪と同様に、コンピュータの社会でも情報の盗難やコンピュータシステムの破壊といった犯罪が発生しています。そのような中で安全にコンピュータを利用するには、「情報セキュリティ対策」が不可欠です。

 特に、インターネットは、私たちの社会生活を便利にしてくれるものですが、ウイルスの感染やコンピュータへの不正侵入、個人情報の流出など、常に多くの危険がつきまといます。インターネットを利用するための情報セキュリティには数多くの対策がありますが、まずは「ソフトウェアの更新」、「ウイルス対策サービスの利用、ウイルス対策ソフトの導入」、「パーソナルファイアウォールの利用」の3つを情報セキュリティ三原則として心がけるようにしてください。

 

 では、小学生。C&P。

 

 私(わたし)たちが生活(せいかつ)している社会(しゃかい)において、泥棒(どろぼう)や暴力(ぼうりょく)などの犯罪(はんざい)が起(お)こるのと同(おな)じように、コンピュータの社会(しゃかい)にも情報(じょうほう)の盗難(とうなん)やウイルスによるコンピュータシステムの破壊(はかい)といった犯罪(はんざい)があります。安全(あんぜん)にインターネットを利用(りよう)するには、コンピュータ社会(しゃかい)の犯罪(はんざい)から身(み)を守(まも)るための「情報(じょうほう)セキュリティ対策(たいさく)」が必要(ひつよう)です。

 まずは、「ソフトウェアの更新(こうしん)」、「ウイルス対策(たいさく)サービスの利用(りよう)、ウイルス対策(たいさく)ソフトの導入(どうにゅう)」、「パーソナルファイアウォールの利用(りよう)」の3つによる情報(じょうほう)セキュリティ三原則(さんげんそく)を守(まも)りましょう

 

 とりあえず爆笑いたしました。小学生って、これでいいんですね。総務省の感覚では。美しい日本語文からはまるでブラジルのように遠い。さらに、発音できればいいのかという最大の問題点があります。「セキュリティ」って、なかなかに難しい概念ですよ。「パーソナルファイアウォール」って何。「原則」という言葉は原則として小学校では習わないかと思いますが。犯罪を子どもには「泥棒や暴力」と教えるといいらしいです。大人は「心がける」ことを子どもは「守る」のですね。以下省略。

 

 これがたとえ全てひらがなで書かれたからといって、小学校一年生に教えられるはずもありません。言葉を噛み砕いて教えることは手間がかかり、教えるほうがよく理解し、よく言葉を身につけていないとなかなかに伝わりません。ましてや普段小さい人と話さない人には。たまにそういう場面に出くわして苦労をよくするのですが、その時の苦労を思っても、この総務省の文章はお粗末極まりないものと思います。

 

 もっとも、出会った言葉が分からず、調べたり訊いたりして言葉を広げていくことも立派な学習で、早くからそれができる環境にいられるのは幸せであるとは思います。しかし教えるほうの姿勢として、目線をある程度そろえること、そして今回は言いたいことをきちんと伝えるという意味において、文章自体を易しくする配慮がもっとなされるべきかと思います。ひらがなで書かれたものがレベルが低いわけでもなければ、漢字で書かれたものが大人なわけでもありません。

 セブンイレブンの日でもあるので、コンビニの話でもしましょうか。

 コンビニの深夜営業を規制しては如何かしら?二酸化炭素はできるだけ出さないようにしましょうよ。否、食品の保管に使う電力もあってそんなに削減は出来ないのですよ。それに深夜のコンビニ営業は地域の治安維持に一役買っているのです。何を抜かすか、夜に危ないやつらをぶらつかせているのもまたコンビニではないのか。云々。

 とまあ、そんな議論がありますね。個人的には、儲からない時間帯には閉めてしまえば世の中うまくいくんでないの?と変なところで自由主義的思考になってしまうのですが、もっと幼稚な印象として、深夜に行くコンビニの何ともいえない背徳感はちょっと好きなんであります。
 ひっそりと静まった国道沿いに、目に染むくらい煌煌と照る店内。(あの照度を適切に落とすだけでも結構節電になるんじゃないのかなあ。)ジャージにTシャツ一枚かなんかで入っていくと、店員と客との間に生まれる妙な連帯感。遅くまで大変ですね。いえいえそちらこそ。パブリックとプライベートの入り混じる非現実。そして外に出ればまた国道という現実。あの店員さんはまた何時間も待ちぼうけであろうか。なんて。
 どんなに時代が流れてもやはり夜は夜なのであります。

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