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丸っこい体から長い毛が一本伸びていて、それが鞭のようだから鞭毛。一発で覚えられますね。
ところが高校時代はなかなか覚えられず苦労しました。というのも、他に微生物の器官の一つに繊毛というものがあったからなのです。繊毛はゾウリムシなどの微生物の体の回りを覆う短い毛で、(多分)繊維のように細い毛だから繊毛。これも覚えやすいはずなのです。
ではなぜなかなか覚えられなかったのかというと、教科書では鞭毛はべん毛、繊毛はせん毛と書かれていたからなのです。平仮名で書かれていると、べんやせんの意味はよく分かりません。私は浪人してからようやくその違いに気付いたのでした。
繊は常用漢字に含まれてもいるのに、なぜ平仮名だったのか今思えば不思議なことです。しかしそれ以上に漢字で書いておけば何を表しているのかもすぐに分かるのだから、そうしておいてほしかったなと思っていたのでした。
ついでに漢字を使うのが控えられているというのはどういう理由によるのか分かりませんが、勿体ないことだと思います。書道などの文字の芸術が生まれていることからも分かるように漢字は他の文字と比べて表現力がかなりある文字です。多少難しい文字でも公にどんどん使う方が良いんじゃないかと思ったりしました。
悲しい気分というのはなんとも強力なものだ。反対に、楽しい気分は年を重ねる毎に、脆弱になってゆく気がしてならない。例えば幼い頃の遠足の前夜の雰囲気だ。あのたとえようのない高揚感はもう記憶の中にしかない。さらに泊りがけの旅行となってはそのそわそわした気分は絶大なものであった。愉快なこともたくさんあった。奇妙なものや、目新しいもの、日常を破る些細なことでさえ駆け出したくなるような喜びを見つけられた。
生活の楽しみとは何だろう。そんな年寄り臭い悩みを抱えている。時折感じるなつかしい「楽しみ」でさえ、その「楽しみ」には必ず終わりがあることを私は知っている。その「楽しみ」が、ほかの誰かにとっては取るに足らないことであることが往々にしてあることを、私は知っている。そして、どんな「楽しみ」も、悲しみによって急激に冷却されることを、知っている。
そんな「楽しみ」のはかなさを意識しながら、本当にこころの底から物事を楽しめるのだろうか。いつ何時心の中に住んでいる悲しみが、頭をもたげてくるか分からない。そんな不安に駆られたまま、何を楽しもうというのか。
人間の脳の中にある海馬は悲しいことと忘れようとする機能があるとよく言われる。本当だろうか?悲しみは蓄積され、楽しいという感覚は鈍くなるばかりだ。計り知れない機能を持った人間の人体にも、消化不良が起こっているのだろうか。
まぁ、こんな分析を試みるうちはまだ健全だ。そう言い聞かせて、今は無理に楽しいものを探している。
大覚寺の「観月の夕べ」を楽しんできた。後から知ったのだが、大覚寺・大沢池の月は、なんでも「日本三大名月」の一つということだ(残り二つは猿沢池と石山寺)。名物の屋形舟に乗るための「舟券」は大人気。まだ日の高い午後四時ごろから三十分以上列に並んで、ようやく六時からの舟券を手に入れた。本当は七時からの券が欲しかったが、客の思惑は皆同じらしく、私の十人ほど手前で完売となった。
午後六時。夕日が西の山の端に隠れて間もない時間帯だから、舟上から観月というわけにはいかない。舟遊びは舟遊び、観月は観月で、別々に楽しむこととなった。鳳凰の姿をした屋形舟には二十人ほどが乗り込んだ。舟中には舟頭と舵取りのほか、お茶やお菓子を用意する係と案内役、それに客をもてなす巫女姿の女性が三人乗っていた。三人の巫女たちは、それぞれ一所から移動することなく、わずかににじって体をひねる動きだけで接待をこなしていた。私に茶と菓子をふるまってくれた若い巫女は三人の中でも際立って美しく、雅なうたげに華を添えていた。
別の巫女は年増で故事に詳しかった。大覚寺の起源である離宮・嵯峨院を建立した嵯峨天皇は、大沢池に映る月をひときわ好み、心ゆくまで愛でたという。彼女によると、天皇が池に映る月を好むのは、空を見上げずに観月を楽しむことができるからだそうだ。当時天皇は絶対的に最上位であったから、「見上げる」という行為はその地位にふさわしからぬことだったらしい。そこで、美しい池を造営し、そこに映る月の鏡像を「見下ろし」て、月見を堪能したというわけだ。どろどろした封建秩序の極みのような話だが、不思議と美しく聞こえる。
屋形舟は静かに池を一周した。境内の景色が絶妙な速度となめらかさで流れ、兎を模した菓子と薄茶は大変美味であった。舟から降り、伽藍をしばらくぶらついていると、やがてあたりが暗くなり、東の雲間に月が顔をのぞかせた。境内にいる何千という人々の注目が月に集まる。嵯峨天皇が池に映したのと同じ月に……。
そして今日は、礼を言わない人と出会いました。店の中をぶらぶらしているとお客さんが探している品物の場所を尋ねてくることがよく
あります。ちゃんと教えることができたなら大体のお客さんは「ありがとう」と言ってくれます。中にはちゃんと答えることができなくてもそう言ってくれる人もいます。
しかし今日出会った人は、お探しの品物の場所を教えたのですがお礼は言ってくれませんでした。そんなことは初めてで、私は少し驚きました。驚いたというのは相手に対してだけでなく、お礼を言われずかなりがっかりした自分に対してでした。お礼は当たり前のように返ってくるものと思っていたからかな、とその時は思いました。
そしてそのしばらく後、またあるお客さんに品物の場所を尋ねられました。そのお客さんは変な人で、お探しの品物が下の階にあると言うと、何故か「下の階って…ヒヒッ」と笑い出すのです。その場所まで案内すると言ったときもやはりヒヒッと笑っています。正直うっとうしい。私はにこやかに応対しながらも振り向いて鬼の顔をしておりました。
ところが、案内し終えたときその人に「あっ、ありがとうね」と言われると、不思議とイライラがスッと消えてしまいました。そんなに大袈裟に感謝されたわけでもないのですが…。
普段ありがとうと言われてもそれほど感ずるものはないのですが、急に妙な力を持ちだしました。ではアルバイトの身分が関係しているのでしょうか。今までより社会に近い身分となったがゆえの緊張を知らぬ間に感じていて、そしてありがとうという言葉に知らぬ間に癒されていたのでしょうか?バイト中でも欠伸するのに。
まぁありがとうという言葉が急に有り難みのあるものになるというのはよくある話で、私もご多分に漏れぬ経験をしただけなのですが、なかなか不思議な言葉なんだなぁと実感したのでした。
教師の業界用語に「発問」というものがあります。質問は,「分からない」人が「分かる」人に対して問いただすことをさしますが,発問は教師の側が教える人々に対して行う,「分かる」側が「分からない」側を問いただすことです。まあ,皆さん覚えはあるかと思います。「これはどうなっているのかな?」ってやつです。
子どもがどうすれば興味を引かれ,授業に積極的に参加してくれるかが大きく変動するとも言われます。例えば,バスの運転手の仕事がどのようなものかを学習する時に,「バスの運転手の仕事はなんですか?」よりも「バスの運転手は何処に気をつけて運転していますか?」のほうが参加しやすく,さらに「バスの運転手はどこを確認しながら運転していますか?」と訊くと答えの数もぐっと多くなる,などという話を聞きました。
嫌みな見方をすれば「ヤラセ」ですね。誘導の問いかけとも言えます。バスの運転手は「バスを運転すること」が仕事というだけでは満足ではなく,必ず安全だとか,時間通りの運行だとか,そういったことも気をつけていて,場合によれば改善点すらも発見してしまうくらいまで子どもは自発的に考え付くことが求められているわけです。観客である子どもをその辺の感動的な答えに導くために役者は奮闘するわけです。ダイレクトで浅いものは大根役者となるわけです。教師とは,役者である。
私たちはそこまで感覚が暇ではありません。バスの運転手の仕事が何かよりも効率の良い仕事が何かのほうが興味があります。拡大すると,世界の貧困層の問題よりも自分の今日の空腹を満たす食べ物が問題だったりします。それ自体は全く自然なことです。言われただけでは動けないことも無理ないことです。それゆえ,本当に気づいて欲しいことには教師でなくとも発問しなければいけないわけです。役者になって,観客がウケて感動的な答えに近づいて欲しい時も出てくるわけです。そして,不断の発問が必要になります。自発でなければリアリティも乏しくなりますから。
あらゆる大問題は全て発問の形が求められている,というのは誇張でしょうか。教師の業界ゆえ,「教える」ことが発問の目的とみなされても不思議ではないですが,「自発的なところへ導く」ことを目的と捉えると,案外持っとくと便利な発想かもしれないですね。ただ,発問は自分がある程度その分野に長けていることが必要なので,その段階に達することと,達した後素人に分かるよう話す,など問題は多く難しいのですが。
単に「掃除」というと、雑巾掛けであるとか箒で掃くであるとか、昔小学校でやっていたような、或いは寺の小坊主などがやっていそうなイメージが浮かぶのだが、そうすると最近私が行っている私の部屋の掃除というのは掃除と呼ぶには少し不相応な気がする。例えばそこいらに散乱しているもの、モノ、物をもと合った筈の場所へと返す。場所というのは本棚であったりCDラックであったり机の引き出しであったり、はたまたテレビ受像器の上であったりして、そんな作業を繰り返すうちに、このモノはこの場所で良いのか、とか、ここを空けるとこっちの物がいっぱい入る、とかそんなところで部屋中の本やら何やらを引っ張り出して、果ては模様替えに発展したりする。そんな営為を「掃除」と呼んだりしている。
在庫管理と呼ぶべきかもしれないそんな作業をしていると、いくつかの法則を意識するようになる。
法則1:同種の物は集める
基本中の基本であるが、それだけに大切である。本であれば文庫、新書などのサイズ別で分ければ見やすいし、収納効率がよい。また同じサイズであっても、例えば音楽CDとゲームソフトなど種類の違う物は分けておけばどこに何があるかわかりやすい、というのは当然である。図書館の十進法などと同じ精神である。
法則2:よく使うものは手に取りやすい位置に
例えば調べ物によく使う本は机の近くに置いておけばいいし、使用価値がゼロで偶に見て思い出に浸るためだけに存在しているようなブツは一番下の引き出しの奥にしまえばいい。図書館の喩えを借りれば、図書館の本は公共のものなのでよく使うも何もなく、せいぜい新着図書を入り口近くに置いておくぐらいなものであるのに対して、自分の部屋は自分のニーズのみに従ってカスタマイズすればよいので、自分と鋭く向き合うことになる。それが楽しい。
以上の法則はあくまで原則であり、実際に整理をし出すと、収納スペースの形状が法則に合わないこと、法則1と2が噛み合わないことなどもざらである。だからこそこの作業は人間味があって面白い。生きることそのものですらあるのではないかと思わされるものである。
さて。お休み前までは、私は「である」調で文章を書いていました。今まで、私の中には、どうも「である」調で書かなければ「ならない」という、勝手な縛りがあったように思うのです。ですが、ちょっと考えてみれば、文体というのも一つの表現の仕方です。文体によって、同じ内容でも、読み手に与える印象というのは大きく変わってくるでしょうし、書きたい内容や自分のそのときの気分に合わせて、文体が変わるのは当たり前のことのように思えます。最近文章が書けなかったのは、こういう無意識のうちの縛りも原因の一つなのかもしれないと思い、今回は「です・ます」調で書いてみました。自分の中の勝手な縛りはなくして、文章の表現も色々試してみて、この、文章を書いていても何処かすっきりとしない状況から、早く抜け出せればいいと、そう思います。