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悲しい気分というのはなんとも強力なものだ。反対に、楽しい気分は年を重ねる毎に、脆弱になってゆく気がしてならない。例えば幼い頃の遠足の前夜の雰囲気だ。あのたとえようのない高揚感はもう記憶の中にしかない。さらに泊りがけの旅行となってはそのそわそわした気分は絶大なものであった。愉快なこともたくさんあった。奇妙なものや、目新しいもの、日常を破る些細なことでさえ駆け出したくなるような喜びを見つけられた。

生活の楽しみとは何だろう。そんな年寄り臭い悩みを抱えている。時折感じるなつかしい「楽しみ」でさえ、その「楽しみ」には必ず終わりがあることを私は知っている。その「楽しみ」が、ほかの誰かにとっては取るに足らないことであることが往々にしてあることを、私は知っている。そして、どんな「楽しみ」も、悲しみによって急激に冷却されることを、知っている。

そんな「楽しみ」のはかなさを意識しながら、本当にこころの底から物事を楽しめるのだろうか。いつ何時心の中に住んでいる悲しみが、頭をもたげてくるか分からない。そんな不安に駆られたまま、何を楽しもうというのか。

人間の脳の中にある海馬は悲しいことと忘れようとする機能があるとよく言われる。本当だろうか?悲しみは蓄積され、楽しいという感覚は鈍くなるばかりだ。計り知れない機能を持った人間の人体にも、消化不良が起こっているのだろうか。

まぁ、こんな分析を試みるうちはまだ健全だ。そう言い聞かせて、今は無理に楽しいものを探している。

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