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 大覚寺の「観月の夕べ」を楽しんできた。後から知ったのだが、大覚寺・大沢池の月は、なんでも「日本三大名月」の一つということだ(残り二つは猿沢池と石山寺)。名物の屋形舟に乗るための「舟券」は大人気。まだ日の高い午後四時ごろから三十分以上列に並んで、ようやく六時からの舟券を手に入れた。本当は七時からの券が欲しかったが、客の思惑は皆同じらしく、私の十人ほど手前で完売となった。

 午後六時。夕日が西の山の端に隠れて間もない時間帯だから、舟上から観月というわけにはいかない。舟遊びは舟遊び、観月は観月で、別々に楽しむこととなった。鳳凰の姿をした屋形舟には二十人ほどが乗り込んだ。舟中には舟頭と舵取りのほか、お茶やお菓子を用意する係と案内役、それに客をもてなす巫女姿の女性が三人乗っていた。三人の巫女たちは、それぞれ一所から移動することなく、わずかににじって体をひねる動きだけで接待をこなしていた。私に茶と菓子をふるまってくれた若い巫女は三人の中でも際立って美しく、雅なうたげに華を添えていた。

 別の巫女は年増で故事に詳しかった。大覚寺の起源である離宮・嵯峨院を建立した嵯峨天皇は、大沢池に映る月をひときわ好み、心ゆくまで愛でたという。彼女によると、天皇が池に映る月を好むのは、空を見上げずに観月を楽しむことができるからだそうだ。当時天皇は絶対的に最上位であったから、「見上げる」という行為はその地位にふさわしからぬことだったらしい。そこで、美しい池を造営し、そこに映る月の鏡像を「見下ろし」て、月見を堪能したというわけだ。どろどろした封建秩序の極みのような話だが、不思議と美しく聞こえる。

 屋形舟は静かに池を一周した。境内の景色が絶妙な速度となめらかさで流れ、兎を模した菓子と薄茶は大変美味であった。舟から降り、伽藍をしばらくぶらついていると、やがてあたりが暗くなり、東の雲間に月が顔をのぞかせた。境内にいる何千という人々の注目が月に集まる。嵯峨天皇が池に映したのと同じ月に……。

時空を超えて唯一無二。この当たり前にして不思議な事実に、私はあらためて感じ入ったのであった。
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