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ホームステイ中、ホストファザーに自分の名前を漢字で書いて見せたところ、漢字は“art”のようだと言われた。当時は、そんなものなのかと、あまり実感はなかったが、最近になって、他国の言語の文字、特にアルファベットを用いない文字を目にする機会が増え、それらを見ていると文字の並びが絵のように思えて、ホストファザーの感覚はこのようなものだったのだろうか、と思う。

何でもいいから、同じ漢字を何度も続けて紙に書いてみてほしい。最初はある意味を成した一つのまとまりであったはずのその漢字が、よくわからない線の集まりのように見えはしないだろうか。この妙な違和感は、漢字の書き取り練習をする時などに小さい頃から感じていたものであったが、確かに、漢字が意味を成した一つの文字であるという概念を取りはらい、様々な角度や形の線がほぼ四角形の中に収まっていると考えれば、漢字一つ一つがまるで小さな絵のようにも思えてくる。

絵画には描いた本人の内面が滲み出るものである。漢字も一つの絵画であると考えれば、筆跡鑑定などでその人の内面がわかるというのも、(少なくとも、私にとっては)納得できる気がする。

漢字を、意味を持った一つの記号として見るのも勿論良いが、たまにはそのような概念を取り払い、一つの絵画だと思って眺めてみるのも面白いかもしれない。

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