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大江山いくのの道の遠ければ まだふみも見ず天橋立
先日、天橋立へ行ってきた。だが天候と体調が悪かったため、実際天橋立を見ることも歩き回ることもしていない。全く、若い身空で何てだらしがないんだ、日本三景だぞ天橋立は、とお思いの方もいらっしゃることだろう。全くその通りなので、私は何も申し開き出来ない。
結局、そこで唯一私が見たものと言えば、なんと砂州と陸地の繋がっていない、僅かな海間だけであった。
そこは一見、ただの水路にも見えるような場所であるが、さすがに海、クラゲがいた。白く半透明なやつらがプラプラ浮かんでいるところを見ると、あぁ私もああいう風になりたい、とかわけの分からないことを思ったりして、なんだかちょっとブルーになった。
けれど暫くして、私はやつらのうちの一匹が、ペラペラになって死んでいこうとしているのを見つけた。彼は最早、水面に浮かぶビニールみたいになってしまっているのだが、それでも一部、収縮活動をしている。あぁ、彼のクラゲもご寿命なのかな、と私が思っていたところへ、ふと顔を上げるとモーターボートが、ぶぉぉぉんっと目の前を走り去っていくところだった。左から右へ。そして少したって、右から左へ。
うわあ私も乗りたいかも―、と思ったが次の瞬間、クラゲってモーターボートで死んじゃうんじゃないのかな、とふと思った。彼のクラゲが陽に当たろうと水面をプラプラしてたところ、逃げるよりも先にモーターボートにひかれて、そして今死にゆくところなのだったら?そう思うと、少し申し訳ないなと思った。車にひかれる犬や猫と一緒で、弱肉強食の為にでも、まして寿命の為にでもなく無駄に殺されるというのは、これは世の無常ではなくただの人の理不尽である。
とは言え、死にゆくクラゲを前にして私はぼんやりとそのようなことを思ったのみで、あとはさっさと車に戻ってしまった。寒かったし体が重かったから。ついでに言うと、無常も理不尽の一種であるから。
はい、京都に帰ってきた月曜日担当者です。
実は私、3月をもちましてデイリー孝太郎を去ろうと思います。
ほんの少しの間でしたが、孝太郎を形作る一人として活動できたこと、嬉しく思っています。
今までありがとうございました!
さて、先週お話していた温泉旅行ですが、そこで松尾芭蕉の句を発見いたしました。
旅人と
我名呼ばれん
初しぐれ
時雨とは冬の季語で、秋の終わりから冬の初めに降る雨のことです。
きっと芭蕉もこの地に温泉旅行に来ていたのでしょう。
私たちが巡った温泉につかってなごんだりしていたかもしれません。
自分のことを知らない場所で芭蕉は何を考えていたのでしょうか?
旅人の良さを感じたのか、寂しさを感じたのか。
誰にも知られていない世界とは自由でもありますが、とても寂しいものです。
匿名性のあるデイリー孝太郎も自由がゆえに悩むこともありました。
私もまた旅人です。
そして私にとってみなさんも旅人です。
明日からもデイリー孝太郎は続いて行きます。
温泉地に旅人が絶えぬように、孝太郎の湧き上がる力はたくさんの人々を魅了していくでしょう。
みなさんは旅人になりたいと思うことはありませんか?
雨音を聞きながらお別れです。
また会う日まで。。。
クラシックならともかく、その他の、マイクとかスピーカとかを使ってやるコンサートとかライブとかというのは、演奏者の生の声あるいは演奏される楽器の生の音じゃなくて機械から出た音を聞いてる訳で、ライブはライブかもしれないけど、ほんとにライブなのか、それは集団DVD鑑賞会とどう違うのか、という疑問が、ときどき沸き起こってきていた。
で、当然、みんなでビデオをみたりCDをきいたりするのと、機械をとおしてはいても、そこにアーティストがいて歌ったり弾いたりしているのを見て聞くのとは違うのだが、違うなぁとは思ってもそれがどういうことなのかよく考えが至らないでいた。
一番、はっきり何が違うかと言えば、一方は「まだこれから起こること」であるのに対して他方は「僕はまだ知らないけどもう起っちゃってること」であるということになるのではないか。アーティストがそこに、目の前にいるという事実が重要なのではないか、と以前は思っていたが、生中継で放送される番組とか、それが舞台上のスクリーンに映し出されていてそれをみんなでみるとか、そういう聴き方は、DVDか「ライブ」か、でいえば、どちらかというと「ライブ」に近いように思うので、どうも本質はそこではないようだな、と感じたのである。
同じコンサートのCDを何度も聴く、観るのは、普通にある話だが、このとき聞いている、見ているものは、実は本物とは違うもの、自分の中で熟成された、自分によってどんどん塗り替えられるもの。
ライブは生きる、生命ということとつながっていて、人を動かす。CDという便利なものがあるのに、人々がわざわざライブを聴きにいく、観に行くのは、本能的にそういう性質のものを求めているからではないか。
癒しを最近でも求める人は多いのでしょうか。癒し系という言葉が人気を博したのは確か8年くらい前のことだったと思うのですが,それ以後これは市民権を得た言葉になっているようで,癒し系とされるもの,風景,人,世の中に大量に出ています。
この「癒し」の動詞形は「癒す」というのが一般の認識でしょうか。癒しを施す,ということで。でも不思議なのは「癒す」という以上誰かが誰かを癒す以外にあり得ないことです。ここで考えて見ましょう。世の中の人間けっこう多数が癒されたいと思っているとしたら(日本では少なくともそうですね),あなたは誰かを癒せるでしょうか。けっこう難しいですよ。何しろたいていの人は風景とぬいぐるみと音楽と人との繋がりと全てを癒しの要素として欲していますから。どのようにしてその人を癒していくのか,ということです。また逆に誰があなたを癒せるのでしょうか。誰があなたを癒せるほど施術の方策に長けた人間なのでしょうか。
みんなが癒されたい。これ考えるとけっこう不気味です。癒すという以上,傷があるわけです。平均よりも傷ついているからそんなことを思うわけです。いや,傷ついていると思っているから癒されたいんです。心が外部から傷を付けられたように思うわけです。みんなが自分が平均より辛いと思ってる。そして癒されたい。誰に。誰にでも。怖っ。
この不気味さから脱出することの一歩となるのは,「癒し」の動詞形には「癒える」もあることを思い返すことでしょうか。これは徹頭徹尾自分です。心が外部からどうこうとかパラドックスに嵌りそうな思考をしなくても,誰か,何か,特殊なものを切望しなくても出来ます。「癒える」には「癒す」っていうほど何か大仰な雰囲気が無くて,適当かつ適切な雰囲気があっていい。ほっときゃ癒える,みたいな。
みんなが何かしら抱えて生きるのは事実とすると,むしろ積極的に「癒える」ことが救いとなるように思います。誰かを待ち続けて,癒されたいと願い続けるより。愛されたい,と言って何もしないのに似てます。癒されたいっていう言い方は積極的に消極的になろうとしています。そんなところ頑張らんでも。ほっといていっぺん癒えてみたらどうや?と大変な時,自分に言い聞かせてみようと(これは私自身が最近痛感することですが)してみるのはどうでしょうか。
「わたし…ずっと前からあなたのことが…!」
はいストップ!私には疑問だったんです。あなたの「こと」とは何なのかと。あなたが好きなのではなく、「あなたのこと」が好きなのです。英語に直すと、I love the things about you.でしょうか。違和感があります。
「こと」は日本語文法で言うところの形式名詞ですから、抽象的で漠然とした内容を指します。それは「あなたの思考」であったり、「あなたの生き方」であったりするわけですが、「あなたの顔」は「こと」に含まれません。「あなたのこと」はあくまで抽象的な内容です。
(これを理解するのに便利な例文。「彼を持ち上げる/彼のことを持ち上げる」―前者は物理的に抱っこしていますが、後者は周りに彼の良い噂を吹聴して彼の評価を上げているわけです。)
逆に日本語で「あなたが好きです」と行ってしまうとどんな感じがするでしょうか。私にはやっぱり英語「I love you.」の直訳のように響きます。現代語で言う「愛」がそうであるように。
何が西洋っぽいのかというと、そもそも「あなた」なるものがアプリオリに存在するという感覚。日本的な感覚では「あなたのこと」無しに「あなた」は存在し得ないし、それはたとえ恋人であろうとも到達できない奥の方に存在する「あなた」なのだろうと思います。「あなた」という言葉は遠くのほうという意味の「彼方」が元々です。
この言葉を、一月にもこのデイリー孝太郎で使用したことが、なんだか随分前のことのような気がしながらも、この三ヶ月は、本当にあっという間に過ぎていったと思う。まさしく、一月は往って、二月は逃げて、三月はもうすぐ去っていってしまう。
先日、まだまだ先だと思っていた、姉の結婚式があった。結婚式というと、教会で行うキリスト教式のイメージが私の中では強いのだが、姉の結婚式は、神前式であった。
母も、結婚式は神前式だったらしく、神前式は良いものだという話を耳にしていたが、結婚式に参加したこともなく、ましてや神前式の雰囲気などわからない私は、どうもピンとこなかった。
しかし、実際のところ、厳かな雰囲気の中、新郎新婦とその親族だけで行われる神前式は、本当に良かった。しきたりに則って進められていく式は、確かに堅苦しくもあるけれど、所々で響く雅楽の音や、静かな式に漂う、あの少し張りつめた清らかな雰囲気に、私はとても惹かれた。式の感想を、何か他の言葉でも表現したいけれど、今は「良かった」以外の言葉は思い浮かばない。
正直なところ、今まで結婚式に対する願望や夢のようなものはあまりなかったのだけれど、姉の結婚式に参列して、自分も結婚式は、きっと日本でしか挙げられないであろう、神前式がいいと、ぼんやり思った。
「人に優しく」というどこかで聞いたことのあるような題を付けた作文を、どうやら私は小学校の卒業文集に載せていたようだ。何年ぶりかに開いた文集には確かに私の(何年も前の)筆跡で「人に優しくしよう」といった内容の事が書かれていた。あらためて見ると、まるできれいごとを並べたみたいでそれを書いた実感さえない。
文集を開いた時は、私はまさにちょうど「優しさ」に対してかなりの疑念を募らせていた時だった。「優しいね。」と言われて、とても恥ずかしい思いをしたのだ。もちろんその言葉を発した相手に悪意はなかったはずだ。しかし「どうも、わざわざ高いところから憐れみの情をありがとう。私たち同じ人間なのにあなたはずいぶん余裕のある方のようでいらっしゃるのね。」と私には響いたのだった。その時は精神的にも不健全でずいぶんひねくれた状態だったので、今から思えばこうやってへそまがりに捉えたことの方がよっぽど恥ずかしいことなのだけれど。
兎にも角にもそれ以来、私の中の清らかな優しさの定義が崩れ去った。優しさは優越感無しには生じない。相手に対する優越感から生れる心の余裕によって「かわいそうだ」という感情が生れてそこに情をかけてやる。優しさは主体にとっては高慢で、客体にとっては卑屈なものでしかない醜い感情なのだと思い込むようになった。
たとえば、募金は自身が優位にあって生命の危険がない状態だからできることだ。また、いじめを助けるにしても次に自分が被害にあわないような身分でないとできない。井戸に落ちんとしている子供をとっさに助けようとする孟子の性善説にある「惻隠」の気持にしても優しさ・憐れみの生じる段階では助ける側の身の安全があってのことだ。時折起こる救助者の事故は、優越の計り間違いによって生れた偶然だとさえ感じていた。同程度の人間の憐れみは優しさではなく傷の舐めあいにしか見えなかった。
こんなはずじゃなかったのに。文集を繰り返し読んで、そこに書かれたエピソードを何度も頭の中で蘇らせた。実感が湧くまで、小学生の頃の感情を掘り起こした。そしてぼんやりと思い出したもの、これは何年も経ったのちの理想による脚色かもしれないけれど、「優しいね。」と言われた時のなんだかこそばゆいような、体の底からじんわりと染み出すような喜びの感覚だった。優しさは与える者も受け取る者も心温まる感情であることに間違いはない。そうでなければただの嫌味だ。素直な「ありがとう。優しいね。」という言葉と、「他人に優しくありたい、力になりたい。」と純粋に思う気持ちをすっかり忘れていた。
きっと「優しいね。」と言われて辛くなった私は、本当に優越感を得ていて相手を憐れんでいたのだろう。優しさに対する見返りを無意識のうちに求めるようになっていたのだろう。さらに、実際に相手にもみじめな思いをさせていたのかもしれない。そうだとしたら、本当に申し訳なかった。そして、優しさの概念まで変えようと試みていた。
こうやって文字にするとすごく嘘くさくて虚しく響くけれど、そしてあの作文以来はじめてだけど、やっぱり「優しさ」を持てる人間になりたい。今度は利己的でない優しさを。