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クラシックならともかく、その他の、マイクとかスピーカとかを使ってやるコンサートとかライブとかというのは、演奏者の生の声あるいは演奏される楽器の生の音じゃなくて機械から出た音を聞いてる訳で、ライブはライブかもしれないけど、ほんとにライブなのか、それは集団DVD鑑賞会とどう違うのか、という疑問が、ときどき沸き起こってきていた。
で、当然、みんなでビデオをみたりCDをきいたりするのと、機械をとおしてはいても、そこにアーティストがいて歌ったり弾いたりしているのを見て聞くのとは違うのだが、違うなぁとは思ってもそれがどういうことなのかよく考えが至らないでいた。
一番、はっきり何が違うかと言えば、一方は「まだこれから起こること」であるのに対して他方は「僕はまだ知らないけどもう起っちゃってること」であるということになるのではないか。アーティストがそこに、目の前にいるという事実が重要なのではないか、と以前は思っていたが、生中継で放送される番組とか、それが舞台上のスクリーンに映し出されていてそれをみんなでみるとか、そういう聴き方は、DVDか「ライブ」か、でいえば、どちらかというと「ライブ」に近いように思うので、どうも本質はそこではないようだな、と感じたのである。
同じコンサートのCDを何度も聴く、観るのは、普通にある話だが、このとき聞いている、見ているものは、実は本物とは違うもの、自分の中で熟成された、自分によってどんどん塗り替えられるもの。
ライブは生きる、生命ということとつながっていて、人を動かす。CDという便利なものがあるのに、人々がわざわざライブを聴きにいく、観に行くのは、本能的にそういう性質のものを求めているからではないか。