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 恥ずかしながら「手前味噌」という言葉の意味用法を私が覚えたのは、多分ここ一年ぐらいのことである。
 理由としては、「手前味噌になりますが~」といって人が語り出した内容は、件の前置きが無くても文脈的にすっきり通るため、どういう意味か調べてみようとあまり思わなかったから。仮に思って、調べたとて、「自分で自分のことをほめること。自慢。」などと辞書には載っているので、ほな自慢でええやん、と考えて頭に入れるのを拒否していたのだと思う。
 ところが最近、この言葉が使えるようになってきた。別に自慢できることが増えたわけでもない。それでもこの言葉の真価に気がつきはじめた。
 「自慢になりますが~」で話してしまうと、話し手としては「自慢ですが」と言うことで印象をマイルドにしたいと思いつつも、そこに一抹の厚かましさというかいやらしさ(そんなにマイルドにしてまで自慢したいのか、図々しい。)を感じられては居ないだろうかというジレンマに陥ってしまうし(私が気にしすぎなのだろうか?)、聞き手だってやはり「自慢を垂れているなあ」と思って聞いてしまうだろう。一般的にそういうものだろう。「少々言葉はきつくなるが」と前置きされた話はすごくきつくなるし、「不謹慎かも知れないが」と前置きされた話は大方すごく不謹慎だ。
 しかし、日常会話において、或る自分に関する事柄を提示しなければ話が進まない、といったときに、自慢することが主目的では無いのに、結果としてそれが自慢になってしまう、というのはよくあることだ。そんなときに「手前味噌ですが」を使うと、「自慢するつもりで言うんじゃないんですけどね」というインプリシットがあるように思うのだ。
 そもそも味噌は調味料であって、現代の我々の観念ではあまり自慢するようなものではない。それでも慣用的に、味噌の話をすると自慢することになってしまうので、手前味噌になってはしまいますが、一応味噌の話をさせていただきますよー、という感じ。慣用句特有の、現代感覚とのズレが、逆にうまく効いて、この言葉に貴重な価値を与えているのだと思う。
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