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神戸にある「人と防災未来センター」というところに行ってきました。阪神・淡路大震災の記念館的存在で,震災追体験及び記録保存・提供の場である防災未来館と,「いのちの尊さ」を訴える,ひと未来館が併設されている施設です。
防災未来館→ひと未来館の順序で見て回ることになってました。各館上から順に一方通行で見ていく方式です。まず,防災未来館は順に「追体験フロア→震災の記録フロア→防災・減災フロア」でした。最初の追体験フロアでは震災発生の瞬間の再現映像をシアター方式で体験,ガレキとなった町のジオラマを歩き,復興ドキュメントの鑑賞と移ります。次の震災の記録フロアでは復興のメッセージとジオラマの時系列配置と,被災者からの提供資料展示,語り部の方のお話が体験でき,最後のフロアでは世界の災害と対策,及び災害と防災・「減災」(災害が起こることを前提としてその被害軽減を前もって行うこと)への知識を深めることが出来ます。
印象に残ったのは最初の「追体験」でした。阪神淡路大震災当時筆者は5歳で,ゆれが発生した時は兄と布団を並べて寝ており,ゆれで眼が覚めると母親が必死に箪笥が倒れないよう押さえていた,という記憶があるのみです。それ以後,さまざまな機会で震災について学び,一応は経験の記憶もあるためある程度理解していました。
しかし,それ以後の映像ドキュメンタリーでも,「音」の体験,それも「発生瞬間の音」については,テレビ局の内部を映した映像くらいしかしてきませんでした。被災者の中にはまだ当時の情景がフラッシュバックしてきてしまう方もいらっしゃるため,公の放送などではダイレクトに地震を想起させるものは含まれないのでしょう(9・11の飛行機突入の映像も同じですね)。再現映像とはいえ,食器,ガラスが割れ,ビルが崩れ,電車が脱線し,人々が泣き崩れる映像に「音」とともに触れると,これまで見てきたある意味“きれいな”映像で一般に感じられる「凄い」とか「怖い」とかいう感情を凌駕したような切迫が,真っ直ぐ掴みかかってくるかのような印象を受けました。
おそらく,無害化した映像だけでは伝えきれないものがあり,それしか知らないなら事実上体験は「風化」してしまうのでしょう。これが戦争規模になると技術,心理両面で難しさはありますが,同様のことが当てはまるかもしれません。あ,もちろんだからといって戦争を体験することが平和につながり,進んで戦場に行けなどとは言いません。今回は「音」というものが残っており,それに触れることが出来たからこそよけいに感じたということです。「音」がなかなか残っていない事柄は,それこそ想像力で風化から救うことが勝負になるでしょう。
次のひと未来館は,何故海浜都市神戸でブナ林の四季を見たり,脳科学をビデオ鑑賞してるのだろうと思ったりしながら,よくある科学センター見学のような気分でいい暇つぶし体験をしてきました。閉館ギリギリになっていたこと(本気で防災未来館見ると半日かかる)で,人がガラガラで,中国から来た人と木の実の話をしたりできたという,まあそれはそれで面白い経験でした。