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私は焦っている。筆が(シャープペンシルが)進まないのだ。いつかの彼のように、私の前にも小林という名の教祖が現れはしないかと他力本願になったりもする。(今ふと良い子のもとにしかサンタクロースは来ないよ、と言われた気がした。
部屋を見回してみてもあまりの平凡さに苛立つだけだ。月を詠むにしても、今夜の月は気高すぎで・・・と尻込みしてしまう。(良い言い訳だ。)
日本語をしぼり出そうにも、出てきたそばからするするすると手の間すり抜けて行く。まるで、ドジョウすくいだ。捕まえてもと思ってもすぐにポチャン・・気付けば手の届かぬ下流に逃げている。仕舞いにはこの紙の上の文字までが、くねくねとうごめきだす。単語をつなぐ助詞が関節のように、一文に流動性を与える。頭と尾っぽを入れ替えても、何ら論理が崩れない日本語のいい加減さにはプラナリアさえびっくりだ。ひらがなの描き出すカーブとカタカナの古臭さと漢字の迷路に、酔ってしまいそうだ。記号に過ぎない記号に過ぎない・・・自分に言い聞かせても、その記号たちまでもが踊りだしてあまりの馬鹿馬鹿しさに笑ってしまった。音読などしてしまったら、もう、言語の奏でる旋律と共に私まで下流に流されてしまう。ゆるゆるゆるゆる・・・。この擬態語もまた堪らない、そのまま海に流れ出てもいいかなぁと思ったりもするが、如何せん明日は愛すべきデイリー孝太郎の担当だ。
一見、日本語と同じくうねうねした英語を眺める。昔は蟹の這う文字と言われたくらいだ。しかし、そこから得られるものはあまりに便宜的に、論理化された言語だった。「1+1=2」これはもう十分分かったよ。単語同士の空白に寂しさまで感じた。
よし!妄想はここまでだ。さて、何か書かねば・・・・・・・・・
・・・。
ゆるゆるゆる・・・・目の前をドジョウが勝ち誇ったように泳いでいった。