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久しぶりに大学に行ったら、大きな建て替え工事をやっていた。大学のキャンパスというのは、いろいろな時期に建てた建物があちこちに点在しているため、結構頻繁に工事というものをやる。
今度はここの建物か…。その建物は、私も週何回か授業を受けていた棟で、真夏でも幾分か涼しかったり、遠くの理系の研究室から微かに化学薬品らしき匂いがしたり、流石に建て替えられるだけのことはある、有り体に言ってしまえば古臭い建物だった。なのでまぁ建て替えられるのも仕方ないなと納得したわけである。
しかしながら、この「古いものから順に新しくなってゆく」という秩序を無批判に受け入れても良いものなのだろうか。しかつめらしく黄色と黒の縞々に囲まれた棟を見ながらそんなことを考えた。遠くヨーロッパの多くの都市では景観の保存ということに大変力を入れている、という話はよく聞くところだ。「新しいものは新しく、古いものは古く」と、そう単純には行かないだろうが、日本式の新しい方へ新しい方への感覚でゆくと、時代というものが過去から未来へ一直線に進んでいるような、そんな思考法に陥ってしまうのではないか。歴史はところどころ曲折し、また思わぬところで繋がったりするからこそ面白いと私は思っている。大体、一直線の新しさなどすぐ行き詰まってしまうに違いない。
適切な喩えになるかわからないが、地球の大気は地面の方から、つまり下層から温められるために、温かい空気が上昇して対流が起こっている。これに対して海水は水面、つまり上層から温められるために対流はあまり起きないのだという。つまり何が言いたいのかというと、大気のような歴史の進み方もあれば海水のような歴史の進み方があってもよいのではないかということである。無理矢理なアナロジーではあるが、歴史的な景観や建造物に感じる雄大さや包み込まれるような感覚は、どっしりと構える海のイメージにどこか通じるところがあるかも知れない。