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 昨日の晩御飯は冷凍ピザと野菜サラダであった。親の帰りが遅かったために、そんなありあわせのもので済ませたわけである。

 それにしても食べる前にじろじろ眺めたただのサラダ、ある角度から見ると猛烈な気配を漂わせる。きゅうり、トマトはさしたることはない。しかしレタスが違う。書道に用いる太い筆で豪快に塗りたくったような荒々しさで鮮やかな色彩を放つレタスは、不丁寧にちぎられたために皿の囲いに収まりきらずはみ出して、こちらにずいと迫りくる。

 もう少し部屋が暗かったら、私が几帳面にちぎっていたら、見る角度が違っていたら、皿が平らだったら、それはただのサラダであった。しかし今回微妙な条件がそろって、並々ならぬ凄みをほこっている。

 摘み取られ運び出され食われる寸前にある、とっくに死んでいるはずの物言わぬレタスは、生き生きとして、原始的な力強さを感じさせた。食う者へのささやかな抵抗だったのだろうか。

 だとしたら効果はあった。今思えばその時、気分の沈みがちであった自分はどうも力が抜けきっていた。一方レタスは微妙な条件が全てそろったまたとない機会を得て、実に生き生きとしていた。ものを食うというのは、生きる者が生きるために食うことである。ならば、むしろ食うのはレタス、食われるのは私であるべきではなかったのか。

 今思えばそんな気もしてしまう。ただのサラダに私は今も圧倒されている。しかしサラダと面していた時の私は何か考える余裕もなく、少しギクリとした後居座りを直してせっかくの条件を台無しにし、ただの死体に戻ってしまったことを確認して、一安心しながらサラダを食ったのだった。

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