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節分にはきまって雪が降るような気がしていたが、今日は小雨が降っていた。
部屋の中に閉じこもっているとそんなことにも気付かないが、近所の神社でいろいろな行事があって、今年は家族で出かけた。
しかし、実は外にも出ずに、期末レポートを作成するに力を入れるべきだった。締切間近にならないと書き上げられずに、ぐだぐだとやってしまうのである。
ところで、講義というやつは、ひとつにつきせいぜい週に90分しかないものであって、半期あわせても20時間程である。考えてみれば、20時間話をきいただけで何か身に着くかと問われたときに、たくさん学べましたと自信を持って言える科目はほとんどない。やはりなんらかの時間外活動が求められるべきものであるだろうし、レポートというやつも、こういう観点から必要なものなのだといってもよい。むしろ、そう思ってやる方がよい、と言った方がいいのかもしれない。というのも、私の身の周りにも多くいるが、ネットで、テーマと関連していそうな記事を探して、見たものをそのままコピーして並べてレポートでございと提出する、あるいは誰かほかの人が作成したレポートを写して出して単位をもらう、というやり方をする者が多いようだからだ。
ネットで検索して…というやり方は、図書館で参考になりそうな文献を探し、読んで、…というやり方より、多くの場合早く手軽にすむけれども、その分見過ごすことも多かろう。当然、ネットは多いに活用すべきである。しかし多くの人がまだちゃんと利用する術を身につけていないのではないか。
そういえば、小学生のころ、イタリアを調べるのに、図書館へ足を運んで何冊も本を借りてきて、まとめて発表したことがあった。節分の思い出をたどっていった先に思いがけずそのことが浮かんできたのだが、これが発表や本の内容など、実によく記憶にのこっている。
数週間前から、大根葉の水栽培をしています。買ってきた丸ごとの大根の、葉のついていたところを5センチほど残して切り、水につけておくだけ。小学校の頃何かで読んで知って、祖母に頼んでやってもらって以来です。
最初は、もともとついていた葉の痕跡(薄黄緑)があるのみの状態でした。数日経っても見た目には変化がありません。5日ほどして、気になって触ってみると、痕跡、それも太いのがぱらっと取れました。高校生物を思い出しました。アブシシン酸の合成による離層の形成です。確か。その後、外側にある痕跡から順に崩れていきましたが、中央部の一回りだけは残りました。
そして、興味が薄れ始めた頃、3ミリ四方くらいの、ひときわ濃い緑の葉の一群が見られました。中央部に残っていた葉の痕跡の間から出てきていました。その後も葉はすくすくと(?)育ち、今では長いもので6~7センチくらいになっています。
中央部に残っていた痕跡は、新葉が3~4センチになったくらいのとき、外側と同じようにぽろっと取れました。新葉が強くなるまで、支えとなっていたようです。一昔前に「ど根性ダイコン」、アスファルトの端に育った大根が話題になりましたが、そう極端(文字通り)でなくても、生命力は眼を見張るものがあります。部屋にこれを置いているだけで、何やら頼もしいような気分になりました。
しかし、呑気なことばかり考えてはいられません。何故これを育てているか。食用です。もうすぐ収穫です。この危うい関係がなんとも生きていることを実感する手立てのようにも感じます。今、若芽を一枚摘んで、噛んでみました。柔らかで、素朴な苦味と、青くさい香りがしました。
まぁ大変、節分だというのに何の予定も入ってないわ!このままじゃ一人寂しく節分を過ごすことになっちゃう!…ということには、ならない。また、「おっ今日は節分だってのに残業かい。ご苦労さんだねえ。」「いやーどうせ予定なんか入ってなかったっすから、仕事入って安心したぐらいっすよ~」…とも、ならない。クリスマスじゃあるまいし。
しかしながらクリスマスと節分の間にあるこの隔たりは果たして合理的なものなのでしょうか?「今日は節分だろ?お前には鬼のお面を用意して待ってるかわいい子供たちがいるじゃないか。…帰ってやれよ」という人情派の上司がいてもよさそうなもの。しかしそういったドラマが現実に起こらないのは、やはり周りのみんなが節分をそれほど重く見ていないからです。こういった権威付けというのは一般大衆の流動的な嗜好に左右されるものです。周りがクリスマスで騒いでいるからこそ、独りでいることに引け目を感じる。そういった引け目のエネルギーがまたクリスマスの権威付けに寄与しているのです。案外この世の価値というものは総て相対的なものかもしれないなと、またしても私は脱力するのでした。
今年は関西でも流行るかもしれないということで、私の通う大学のほうでは麻疹の無料予防接種が行われました。
一応受けに行ってきたのですが、麻疹に対する危機感は全くもって無い状態でした。麻疹が流行った時期はみんなでなんやかんや話したりして多少の危機感もあったように思われます。
のどもとすぎればなんとやらで、人とは何でもかんでもすぐに忘れてしまいます。大事なことであっても忘れてしまうということはあります。
忘れるという行為は意識的にできることではありません。忘れたくなくても忘れるし、忘れたくても忘れられない。
りんごを忘れてください、と言われた瞬間には私たちの頭の中にはりんごが浮かび上がってしまっているのです。一度頭の中に出現したら、なかなか忘れることなんてできませんよね?
今私が思っている気持ちや感じたことはあと少しすれば忘れてしまうのでしょうか。あれ、何だっけ、まぁたいしたことじゃないんだろう、と未来の私はあっさり突き飛ばしてしまうのでしょうか。何だか少し切ないです。
そんなこともあってか、3ヶ月ほど前から記録をつけることに意欲的であるのです。手帳の横のスペースに3行ほど、今日あった嬉しいこと、悲しいこと、忘れたくないことなどを書いています。
意外と日付を戻ってみると何気ないことが多いのですが、少し微笑ましいような過去の自分と対話しているような温かい気持ちになれます。
5年や10年経って、忘れてしまったものと同じものをたった3行の文字から完全に感じ取ることは不可能でしょう。しかし、忘れることにも意義があったのだろうと思えるかもしれません。
そして最後に、孝太郎の更新を忘れてしまってごめんなさい。しかしそのおかけでなんとか更新できました。
久しぶりにしっかりと雪が降った。小さい頃は雪とか雨とか降るとはしゃいだけど今はうっとしいだけ、なんて人もいるが、私はいまでも雪が降るとうれしくなる。
雪と言えば高校の数学の先生が、たしか「雪降ってるの見ると積分を感じますよね」なんてことを言っていた。この感覚が私の身にはなかなか降ってこなくて、悔しいような思いをしたのを覚えている。
数学と言えば、「あきらめない」が大事だ、みたいなことを言われたことがある。対して英語は「毎日やる」なんだとか。その通りである気もする。
今日は大阪でマラソンがあった。先々週とまた内容がかぶるみたいだが、毎日やることや、あきらめないことの尊さを感じることができる。
受験生のみんな、どうかがんばって。忙しさのなか、降る雪を見逃さないように、春に向かってあと少し。
今年も、第一次の戦いが終わったようですね。センター試験…に付随して起こる縁起担ぎ商戦です。
某二つに割って食べるチョコレートが最初だと言われたり言われなかったり…最近はテレビが特番を組んだりすることもあってか、とことんこじつけたものまで登場していますよね。代表的なものを列挙してみましょうか。
お菓子類はまあ言わずもがなとして(うカルピス、かちの種というちょっとマイナーなのもありますが)、その他古典的にはカツレツ(勝つ)、ステーキ&カツレツ(敵に勝つ:但し胃への負担が大きく一般的には用いられない)、ウインナーソーセージ(Winner)、蛸(OKUTO pass)、ジャガイモのメークイン(Make Win)、五角形の品物(五ー角)、電車の線路の上に敷く砂(滑り止め)…キリがありません。筆者の家族はだいたい迷信を信じないのですが、それでいて他人事には呑気なため、「こんなんあったで~」と言って見つけるのを競っては受験勉強中の筆者にいろいろ持ってきたという想い出があります。
古典的と書きましたが、カツについて調べてみましたら面白い資料が。最近では受験一つとっても家族総がかりで挑む場合も見られ、かつ親が手厚く手厚く応援するパターンもあるらしく、受験のためのホテルサービスを利用する家族もいるらしいです。例えば、あるホテルでは自習室完備、食事は脳を活性化させる栄養素を重視、翌朝は遅れないように起こすサービス…と至れり尽くせりの極みのようなものが紹介されていました。そこまでいかないのですが、某ホテルの食事についての一般へのサービスに、以下のようなものが。
[ごはん]
商品名:和洋5角(合格)弁当
価格:2,100円(税込)
内容:ポークフィレカツレツ・海老フライ・焼魚・煮物・焙りチキン・玉子焼・豚の肩ローストとタンのテリーヌ・白飯・ペットボトル日本茶・みかん
[パン]
商品名:牛煮込み肉 カツ(勝つ)サンドイッチセット
価格:2,100円(税込)
内容:牛煮込みカツレツサンドイッチ・プロセスチーズ・マカロン・ミニマーケットサラダ・フルーツハートゼリー・ペットボトルミルクティー付
こうなってくるともう笑えません。量的には夕食を想定しているのでしょうか、でも弁当です。持って行くのでしょうかね。受験会場に行って昼食時、ライバルたちを変な意味で圧倒することは間違いなく可能です。想像してみましょう、隣の奴の弁当がカツ、海老フライ、焼魚、煮物、チキン、玉子焼、テリーヌという場違いなメニューだったら。変な関心と骨川スネ夫を見るような眼つきを筆者ならしてしまうでしょう。また、食べなれない人間がそういう豪勢な食事をただでさえ緊張している時に大量に取るとどうなるか。
ちなみに野菜類が少ないことも特徴です。
たいてい気にしているのは当事者以外なものです。本人にとって切実であっても周りは案外気にしてくれないもので。享楽的にすら映るこの商戦。さて、来月にはどんなことになるか。そんな業界と野次馬のおふざけに関わらない切実な努力を、筆者は応援したいと思います。
電車というものは斯く面倒くさい。厳密に生きたければ、今や携帯電話で乗り換え案内を見ることも可能だが、私のように"大体"で生きたいものには、電車が早く来るか否かで移動時間が大きく左右される。それでも厳密さを取らないのはやはりその"大体さ"を認めているからに他ならないのだが…。
ところで、電車の中の時間を無駄な時間と考え、本を読むなり何なりして何とかこれをやり過ごそうという人がいるが、というか私も昔はそういう思想の持ち主であったが、近頃はそうでもない。何もしない時間というのも大いに結構であると思っている。そもそも時間などというものは人間が知覚しない限り存在しないものだ。やらねばならないことが〆切を伴って現れたときには、その時間を意識して電車の中で本を読むなり勉強するなり好きにすればいい。だがしかし、何もないときには時間だって流れない。無理に時間を流すよりは、こういう風なことをぼおっと電車の中で考えているほうが私にとっては健康的なのである。