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関西には私鉄が大変多く、JRを使わずとも大体の場所には行ける。それに私は幼少の頃より私鉄沿線に住み、親戚の家も私鉄の範囲内、家族で旅行に行くにも大体自家用車。高校以前でJRに乗ったことが、あったにはあったのだろうが、記憶は全くない。
大学生になってから、まぁいろいろと用事があってJRに乗らないと行けないような場所に行くことも増えたが、何だかどうも居心地が悪く、出来ればJRでの移動は避けたいと思うようになった。
本数が少ない、遅延が多い、揺れが激しい、など負の要素はいくつか考えられるが、その程度なら各私鉄も一長一短。それらを超えた圧倒的なJR嫌いの原因が漠然と私の中にある。
JRの車両に乗り込む。たくさんの人が思い思いの恰好、仕草をしている。だが、その思い思いな様子が何故か画一化された、没個性化した「凡日本人」といった印象を私に与える。盆と正月にテレビを付けると帰省ラッシュの様子が映し出されるがあれに登場する人混みの印象、テレビの中の人といった感じがJRの人びとにはあるのだ。この狭い島国でマスコミに唆されてせこせこ生きている日本人。私はきっとそんな日本人(のイメージ)が大嫌いなのだろう。
一方で、このJRに対する嫌悪は、少数派が多数派に対して抱く疎外感でもある。私だって多分、マスコミの言いなりのつまらない日本人の一人。自らの共同体に対する違和感と親和感の微妙な葛藤をJRは体現しているのである。
わたしたちの日常生活において「死者」はどれほど身近な存在なのだろうか。
メキシコには「死者の日」がある。日本でいうならばお盆にちかいもので、年に1度死者が我々のもとへと帰ってくる日である。しかし、それは日本のようにしめやかに執り行われる行事ではない。これはメキシコの先住民の民俗信仰とスペインのカトリック信仰の融合した文化なのだが、彼らはこの「死者の日」には色鮮やかな花で墓を飾り立て、墓地でわいわいと食事をとるのだ。我々の文化からは考えられないが、帰ってきた死者との語らいを楽しむ陽気さと、その裏に秘められた別れの寂しさにはなんともいえないものがある。
決して死を肯定しているわけではないが、死という概念が身近にあることは今この時代に必要なのではないか。人は死んだらどこに行くのかだとか、死んだおじいちゃんが見ているだとか、心から思うのはなんだか禁忌なようで、けれど思わないことも禁忌なようで、私たちはそういった話題から無意識のうちに離れようとしてはいないか。死をただの物質の消滅と考えるもよし。けれど、そう考えることもまだまだ我々には怖い。ぐにゃぐにゃした信仰心を携えて、いざ自分の死に直面すれば泣き崩れるしかないなんて、長い人生の最後をそんな風には飾りたくない。
命の終わりを認めよう。そして、その日には笑っていたい。
この「デイリー孝太郎」にも命がある。私たちはそこに命を吹き込みたかった。彼の命はいつまでつづくのだろう、彼の人生をどういう風に飾ろうか。生と死は表裏一体だ、彼が死んでも墓場で一緒にお酒を飲もう。そして、次に来るべき生を心待ちにするのだ。
〈伍〉『孝太郎』の将来
今後の『孝太郎』はどうあるべきか。我々は過去を教訓とし、一切の妥協なく検討を進めなければならない。選択肢は複数ありうるが、いかなる道をとるにしても、その道が『孝太郎』に現状打破とこれまで以上の発展をもたらすものでなければ意味はない。仮にも惰性だけで存続するならば、むしろ廃刊を決断するべきではないかと私はそう考えている。
もちろん私は『孝太郎』誕生に大きく関わった人間の一人だから、簡単に〈孝太郎〉をこの世から消し去ることは避けたいと、一方で思っている。現状を大きく変え、新たな表現の場として再出発させることが最善の道ではないだろうか。そのために考察すべき点がいくつかある。以下においてはそれらを順に挙げてゆくが、ここでは各事項に対するごく具体的な話というよりも、私の考えるある程度の方向性を示すにとどめる。具体的な詳細事項は編集委員同士の話し合いによって決定されるべきであるし、『孝太郎』の運営は最終的に編集長の意向によるものであって、一委員である私がこまごまとした提言をこの場で持ち出すことは適当ではないからである。
まず考えなければならないのは、「デイリー孝太郎」の存在である。これまで見てきたように、「デイリー」にはさまざまな難点があり、『孝太郎』の活動を停滞させる原因ともなってきた。ブログを利用するという発想はすばらしいし、担当者も精一杯努力をしてきた。しかしやはり、〈ことば〉の壁、すなわち「誰が、誰に、何のために発するのか」という問題に悩み続け、不完全燃焼から脱却することができなかった。我々は、何らかの方法で、この現状を断ち切る必要があると思う。「デイリー孝太郎」そのものを終了した方がよいのか、名前はそのままに内容を一新した方がよいのか、別の取り組みに移行すべきなのか、それはこれから考えていかなければならないだろう。とにかく現段階で必要なのは、「デイリー孝太郎」の性質を『孝太郎』元来の理念に照らし合わせ、一から検討し直すことである。「デイリー」の難点が解消されることで、担当者も週1回の義務感から解放され、時間と思考の幅を他の表現活動に向けることができるようになる。文芸誌『孝太郎』に向けられるエネルギーは、そのうちのごく一部でもかまわない。空虚な十よりも濃密な一を、我々は望むべきである。
もう一つ再検討が必要だと私が考える点は、読者の幅をどのように想定するかということである。『孝太郎』がオンライン化されて以降、特に「デイリー孝太郎」の連載に関して言えることであるが、我々は〈一般的読者〉すなわち全世界の不特定多数の人々を意識しすぎたのではないだろうか。誰が読んでもあたりさわりのないよう気を配るよりは、『孝太郎』の読者は所詮限られていると割り切って書いたほうが、具体的で率直な表現が可能になるのではないかと思う。「デイリー孝太郎」はブログというシステムを利用しているが、その性質は一般的なブログとはかなり違っている。ごくプライベートなことを思いつくままに書くのではなく、ある程度推敲を重ねた思索的な文章が要求される。これは、「デイリー」だけでなく、『孝太郎』の営み全体を通じて言えることである。文章を書くときには、〈読み手への配慮〉と〈書き手の納得〉がともに必要であることは言うまでもないが、こうした思索的文章に関しては、前者よりもむしろ後者の点が重要なのではないかと私は考えている。必要以上に全世界の一般的読者を意識すると文章が委縮するおそれがあり、したがって『孝太郎』に寄せられる文章については、オンライン上であっても、書き手が自ら納得できる表現を奨励すべきなのである。
そしてこの点が私の最大の主張なのだが、私は『孝太郎』を、我々の〈学生運動〉の一環にすべきであると考えている。〈学生運動〉と言っても、40年前のような、ゲバ棒をふりまわして催涙弾を浴びる類のものを指すのではない。あれは〈学生運動〉の極端な一例に過ぎない。〈学生運動〉とは、大学生による表現運動である。私は、大学というのは、好きなことを好きなだけ学ぶ場であると同時に、好きなことを好きなだけ表現する場でもあると思う。かつては高校の同級生であった『孝太郎』の編集委員は、今や全員が大学生である。学生である限り、我々は学生運動をしなければならない。学問の世界の最先端に身を置く以上、その中で目いっぱい駆け巡り、さまざまなものを吸い込むと同時に吐き出し、あたりをひっかきまわさなければならない。
その表現媒体として、『孝太郎』は可能性を秘めている。多様な考えを持つ学生たちが堂々と持論をぶつけ合い、切磋琢磨する。そのような場になることができれば、〈孝太郎〉自身も、その理念をかなえたことになるのではなかろうか。
我々は大学において、それぞれ学部に所属し、専門的な知識を学びつつある。そうした知識の中には、専門書によって誰でも簡単に接続できるものも多いが、他学部の人間には接続困難なものもある。特に最先端の〈生煮え〉〈半熟〉〈未完成〉な知識は、教官にごく近い人間しか知らないことが多い。『孝太郎』が、文芸を超え、そうした学問・思想の鍛錬の場になることを私はかすかに望んでいる。〈学際〉ということが声高に叫ばれているけれど、組織同士が組織的に連携するだけでは、機動性もなくたいした成果は望めない。意味のある〈学際〉は、数人の親しい交流の中からまずは生まれてくるものだと思う。我々編集委員と投稿者が〈学際的学生運動〉を展開し、『孝太郎』が〈学際誌〉へと変貌することこそ、我々と〈孝太郎〉にとって最も価値のある変革ではなかろうか。私はそのように考えている。
(革島秋遷)
というのも私にもゲーム脳的な体験があるからである。ある時自分の身に危険が及ぶ可能性があるのを実感したのだが、何となく大丈夫だと妙に落ち着いていた。実際危険が及んだとしてもリセットしてどこかでもとの状態でやり直せるだろうと思ったのである。しかしさすがに自分がそう思っているゆえに落ち着いていることに気付くと、却って空恐しくなった。一番恐しいのは自然にそう思っていことである。当時もゲームは好きだったので影響があったことは間違いない。あまりゲームに影響されすぎると、現実のリスクをまるで無視する行動を平気でとってしまう可能性があるのである。
またもうひとつに、ゲームは基本的に生々しい表現は避けられるものである。剣で怪物を斬っても精々血液が噴き出る描写があるだけで、傷口まで再現されるようなものはあまりない。敵を倒してもぼろぼろな死骸・臭いが残ることもない。大体死骸は綺麗なグラフィックと共に消滅したり、急に消えてしまうものである。こうしたごくあっさりした表現は現実の生々しさ、醜い部分を覆い隠している。これに慣れてしまうと、現実を見たときのショックが過剰なものとなってしまい、妙なトラウマを引き起こしかねない。といってゲームでそれを再現しろと言うわけではない。ただそれなりの配慮は必要である。
色々挙げたがゲームをする一番の弊害はゲームのことしか考えなくなってしまうことである。休みに入り持て余す時間の多い私もそうなりがちである。できるだけ外に出ようと思う。
既製品社会について前回書きました。最後に技術がどうのこうのと言っておりましたが,あれ以後孝太郎に以下のような文章がありました。スクロールすればすぐ出典元があるんですけど,一応定例なので引用します。
曲をつくって世に出すというのは、自分で産み育てた我が子を荒海に投げ出すような感じさえする、勇気の要ることじゃないだろうか。
よく自分の書いた絵とか文章とかを隠したがる人がいるが、自分の内面(手のうち)をさらけ出して聞いてもらおうという作曲という作業は、それだけで尊いような気がして、ときどき涙が出そうになる
出典:2月12日付 デイリー孝太郎「classic-5.Mozart」
消費するのは非常に簡単です。芸術全般,いやむしろ商品経済に流通するものの全体がそういえるでしょう。もちろん玉石混淆ですし,中には本当に大したものではないのもあります。しかし,小説ひとつ想像してもらえば,それを考えることの重大さが感じ取れると思います。そこにいる人が人格を持っているように感じられなければ小説としては失格,しかし自分の人格でも明確に人は語りうるでしょうか。
上記記事の作曲という行為もそうです。音楽は一般に「心に」響くものとされていますが,その心とは何か。やっぱりこれも一筋縄では語りえないでしょう。これを語る言説も商品になって流通するほどなのですから。そもそもの音楽は心に響くものか。そして,響くとしたらどうすれば響くのか。他人に聴かせるための音楽ではなく俗な言葉で「独りよがり」な音楽であっても,それが自分に響くためにはよほどの内省をはらむことでしょう。
消費にばかり慣れて生じるのは芸術性の喪失かもしれません。芸術とは人格への内省が必要としたら,人格の喪失が現代に言われることと関わるかもしれません。「個性」がしきりに言われながらこういった喪失に直面しているというのは,いささか大袈裟に過ぎるでしょうか。
これを書きながら,筆者もかなり内省の必要に直面しています。
遺跡は人類に遺された宝であるが、それを発掘すると二度と元の状態には復元できない。それは宝の破壊行為である。しかし、それでも、そこにある遺跡を掘らないのは人類に対して失礼なことのような気がする、というのである。
「宝の持ち腐れ」という言葉があるが、宝がその価値を発揮するのが、それが失くなってしまうときに限るのであれば、やはり宝は消費されるしかないのだろうか。
インドの図書館学者ランガナータンが提唱した「図書館学の五原則」なるものの中に「本は利用するためのものである」というのがある。これは当たり前のことに思えるかも知れないが、実は図書館の機能には利用のほかに保存があって、そこを敢えて「利用が本義」と主張したのがランガナータンの五原則なのであって、
図書の貸出は即消費ではないが、やはり多くの人に渡れば本だって痛むし、延滞や、ひどい場合には紛失する人だっている。それを見越して、貸出対象者を制限したり、館内閲覧のみにしたりして、「保存」の機能を強く打ち出すことも図書館は出来るわけだ。しかし、保存したとてそれは未来の利用者のためであり、未来の利用者が同じように保存の原則に従えば、結局は「宝の持ち腐れ」となってしまう。大切なことは、宝から最大限の価値を引き出せるような利用方法の模索なのだ。
とはいえ、明日の自分は他人。富の再配分はいつだっていざこざにまみれている。将来の利用者と現在の自分のどちらが本当にその宝を必要としているのかを判断することは難しい。時間が流れる限り、人類はこのジレンマを永久に抱えるのだろう。
ところで、大量消費社会なんてことが言われるが、そもそも「消費」という契機は、人類が何か「保存」という方法を編み出してからその対として生まれたものでは無いだろうか。ただ生きるために肉を狩り、食らう行為を消費とよぶには抵抗がある。保存か利用か、このジレンマは人類の歴史とともに古いものだと仮説してみたい。
作曲家というのはすごいものだなぁと思う。
「あんな曲を作れるなんてすごい!」というより、「よく発表できるな!」という感じだ。
さて、今日はモーツァルトの曲を。
モーツァルトといえば、明るい、軽い、自由な、そんなイメージがあるかもしれない。神童とか天才とか、そういう言葉の似合う(気がする人である)人である。
しかし、本当は、作曲にしろ演奏にしろ、彼はとてつもなく勉強をし、練習をしていた人だったようであるし、自分の曲が演奏される際にも、かなり細かい注意を演奏者に対してしていたようである。
彼の曲でよく知られているのといえば、「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」とか、「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」などのオペラ、交響曲第25番やピアノ協奏曲第20番などが思い浮かぶ。今では名曲と言われる曲が、当時は非難轟々だった、ということも結構あるらしい。
曲をつくって世に出すというのは、自分で産み育てた我が子を荒海に投げ出すような感じさえする、勇気の要ることじゃないだろうか。
よく自分の書いた絵とか文章とかを隠したがる人がいるが、自分の内面(手のうち)をさらけ出して聞いてもらおうという作曲という作業は、それだけで尊いような気がして、ときどき涙が出そうになる。(が、もしかしたら、ただ聞いている曲が良かっただけかもしれない。)
で、今日お勧めしたいのは、レクイエム。聞きたいだけでなくていろんな勉強(?)にもなる曲。←こんなテキトーなコメントで良いのか