孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
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私は昔からTVゲームが好きである。わざわざ振り返らずともかなりの時間をゲームに費やしてきた(いる)ことは間違いない。ある時期からゲームのし過ぎで頭が現実離れしてダメになってしまうという意味でゲーム脳という言葉がよく用いられ、ゲームを全面禁止すべきという意見まで飛び出した。私は全面禁止すべきとまでは言わないが、ゲームはやはり怖さを持つものではあると思う。
というのも私にもゲーム脳的な体験があるからである。ある時自分の身に危険が及ぶ可能性があるのを実感したのだが、何となく大丈夫だと妙に落ち着いていた。実際危険が及んだとしてもリセットしてどこかでもとの状態でやり直せるだろうと思ったのである。しかしさすがに自分がそう思っているゆえに落ち着いていることに気付くと、却って空恐しくなった。一番恐しいのは自然にそう思っていことである。当時もゲームは好きだったので影響があったことは間違いない。あまりゲームに影響されすぎると、現実のリスクをまるで無視する行動を平気でとってしまう可能性があるのである。
またもうひとつに、ゲームは基本的に生々しい表現は避けられるものである。剣で怪物を斬っても精々血液が噴き出る描写があるだけで、傷口まで再現されるようなものはあまりない。敵を倒してもぼろぼろな死骸・臭いが残ることもない。大体死骸は綺麗なグラフィックと共に消滅したり、急に消えてしまうものである。こうしたごくあっさりした表現は現実の生々しさ、醜い部分を覆い隠している。これに慣れてしまうと、現実を見たときのショックが過剰なものとなってしまい、妙なトラウマを引き起こしかねない。といってゲームでそれを再現しろと言うわけではない。ただそれなりの配慮は必要である。
色々挙げたがゲームをする一番の弊害はゲームのことしか考えなくなってしまうことである。休みに入り持て余す時間の多い私もそうなりがちである。できるだけ外に出ようと思う。
というのも私にもゲーム脳的な体験があるからである。ある時自分の身に危険が及ぶ可能性があるのを実感したのだが、何となく大丈夫だと妙に落ち着いていた。実際危険が及んだとしてもリセットしてどこかでもとの状態でやり直せるだろうと思ったのである。しかしさすがに自分がそう思っているゆえに落ち着いていることに気付くと、却って空恐しくなった。一番恐しいのは自然にそう思っていことである。当時もゲームは好きだったので影響があったことは間違いない。あまりゲームに影響されすぎると、現実のリスクをまるで無視する行動を平気でとってしまう可能性があるのである。
またもうひとつに、ゲームは基本的に生々しい表現は避けられるものである。剣で怪物を斬っても精々血液が噴き出る描写があるだけで、傷口まで再現されるようなものはあまりない。敵を倒してもぼろぼろな死骸・臭いが残ることもない。大体死骸は綺麗なグラフィックと共に消滅したり、急に消えてしまうものである。こうしたごくあっさりした表現は現実の生々しさ、醜い部分を覆い隠している。これに慣れてしまうと、現実を見たときのショックが過剰なものとなってしまい、妙なトラウマを引き起こしかねない。といってゲームでそれを再現しろと言うわけではない。ただそれなりの配慮は必要である。
色々挙げたがゲームをする一番の弊害はゲームのことしか考えなくなってしまうことである。休みに入り持て余す時間の多い私もそうなりがちである。できるだけ外に出ようと思う。
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