孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
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作曲家というのはすごいものだなぁと思う。
「あんな曲を作れるなんてすごい!」というより、「よく発表できるな!」という感じだ。
さて、今日はモーツァルトの曲を。
モーツァルトといえば、明るい、軽い、自由な、そんなイメージがあるかもしれない。神童とか天才とか、そういう言葉の似合う(気がする人である)人である。
しかし、本当は、作曲にしろ演奏にしろ、彼はとてつもなく勉強をし、練習をしていた人だったようであるし、自分の曲が演奏される際にも、かなり細かい注意を演奏者に対してしていたようである。
彼の曲でよく知られているのといえば、「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」とか、「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」などのオペラ、交響曲第25番やピアノ協奏曲第20番などが思い浮かぶ。今では名曲と言われる曲が、当時は非難轟々だった、ということも結構あるらしい。
曲をつくって世に出すというのは、自分で産み育てた我が子を荒海に投げ出すような感じさえする、勇気の要ることじゃないだろうか。
よく自分の書いた絵とか文章とかを隠したがる人がいるが、自分の内面(手のうち)をさらけ出して聞いてもらおうという作曲という作業は、それだけで尊いような気がして、ときどき涙が出そうになる。(が、もしかしたら、ただ聞いている曲が良かっただけかもしれない。)
で、今日お勧めしたいのは、レクイエム。聞きたいだけでなくていろんな勉強(?)にもなる曲。←こんなテキトーなコメントで良いのか
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