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9/7
 近頃、マクドナルドで注文しようとすると「お召し上がりですか?」と訊かれるようになった。「こちらでお召し上がりですか?」の「こちらで」を省略したのだろうが、「食べ物は召し上がられるためにあるもの」という前提を覆してしまうような妙な質問となっている。私が最初にこれを聞いたのは確か2年ほど前であったと思うが(そのときは笑いをこらえるのに必死であった)、今ではかなり普通に聞かれる表現になったようだ。
 いま、マクドナルド店員の立場に立って考えてみるならば、これからお客様にお出しする商品は、現時点では「食べられる」か「持って帰られる」かのどっちかであって、持って帰っていきさえすればその後は、そのままゴミ箱に捨てられようが仏壇に供えられようがそんなの関係ねぇといったところであって、この二分法に従うならば、「お召し上がりですか?」だけであってもその意味するところはもう明確なのである。
 言語は完全に論理的たり得ないし、人間同士の対話は何らかの前提を共有していないと成り立たない。「こちらでお召し上がりですか?」に対して「いいえ、あちらの席に座って食べます」と答える人がいても何も不思議はないのである。
 ただし、この例の場合、前提が店員の側に寄りすぎている。お客様である私は家に持ち帰って「食べる」ことを主たる目的として注文をするのだから。とはいえ、私も上記のように店員の意図を読んでしまっているため、「いえ、お持ち帰りで」などと誤った自敬表現で答えてしまうというのは、何とも情けない。私のような優しい市民を味方につけ、大会社日本マクドナルドは日本語文化に(もちろん善悪両方の)影響を与えるほどの力を握っているのである。
 斯様に言語の変容には非・論理的な人間の力関係がつきまとう。変容を拒否することは誰にもできないが、その背後にある人間社会の営為を注意深く見守っていく必要はあると思う。
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