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 世には多く宗教を信ずる人がいる。科学の発達した現代にさえ、神の存在を当たり前のように信じて疑わない人がいるのである。世界の歴史、そして現代の状況を見ると、信ずるものの違いから生じる争いは絶えず、世界のあらゆる争いの根元と言ってもいいほど醜いものである。

 今宗教を信ずる人を世界的に見れば、その多くは恐らく生まれながらにして信仰する環境にあった人であろう。同じように、『当たり前の』世界観とは、生まれながらにして疑う間もないまま形成されるものである。それを誰かに否定され、悪とまで言われたなら、その人は悪と呼ぶ『悪』と闘わねばならない。当然の世界観を否定されることは、己の生涯を否定されることでもあるからである。この世界では、ある世界観を持つと、それと異なる世界観を持つ何者かと相対する宿命を背負う。

 しかしもともと、何かをひたむきに信じるという行為は、愚かであっても美しいものであるはずである。今はそうした見方はしにくくなっているだけであり、本来は人間の理想とするべき在り方の一つであることは間違いないと確信できる。

 私はいつか生き方を改めるほどに信じられるものに巡り会いたいと思っている。ひたむきに信じ、かつての苦悩を解消して救われる。このような過程を経たならば、他人の自分とは異なる世界観に対しても、大なり小なりその人が信じるものに行きつくまでの苦悩或いは思索が思いやられ、もう少し寛容になれるのではないかと思うからである。

 だが今はまだあまり救われていないので、どちらかというと闘いたがってさえいるから、非常に危険である。
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