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 人間は世界の解明のために生きているのではないだろうか。世界とは我々が存在する場・空間・時間・要素・価値など全てに関することだ。科学者アインシュタインがなんとかと言い、哲学者フーコーがかんとかと言う。自然科学、人文科学、社会科学に関係無く、いや、学問か否かに関係なくだ。「今が楽しければいい」若者も、政治に興味のない主婦も、世界と自身の価値を疑い自殺を願望する者も・・・心に潜む生への疑問と共に生き、そして死ぬ人間は皆、世界の解明を望み生きているのではないか。
 脳科学が人間の全ての思考パターンを予測し、宗教の開祖が宇宙の根源を見る。全てが繋がるかもしれないし、逆に全てが破綻するかもしれないが、世界が解明される方向にあることだけは確かだ。
 そもそも解明とは何だろう。とんでもない結末を考えると私の拙い想像力では、もともと全てが必然である決定論や、神とも言うべき絶対的存在が我々を操作しているだとか、宇宙そのものが何かひとつの大きな生命体の細胞であるとか・・・こんなことしか思い及ばない。しかし、どんな形であれいつかは解明されるのだ。解明された結果、自然科学が完全なるものだとしても、その整合性と自身の儚さに我々はぞっとするに違いない。解明の時が人類滅亡の後のことであれば、他の星で同じく解明に向わんとしている生命体にでも続きは任せよう。しかしそれが我々の滅亡前のことならば、きっと世界が解明されるまさにその時に人間の存在は浮遊し、その時が滅亡の時となるのではないだろうか。
 だからと言って、滅亡を恐れて解明への道を捨ててしまえば、それもまた生きる価値の喪失と共に人類は滅亡するだろう。結局のところ、世界の解明に向って我々は進まねばなるまい。学問と学問ではない何かを守りながら、今までそうしてきたように、少し冒険的に少し盲信的に進まねばなるまい。そして生への疑問と共に生き続け、最期はやはり死なねばなるまい。
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