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過去二回掲載して頂いた時に「である調」であった文体を「ですます」調に変えます。前者には何処か高飛車な印象があり、こういった駄文を読んで頂くのには何か合わないなあと思ったのです(※あくまで個人の感想です。)ユーモアも使いにくくて。実はそれ以前に「天声人語みたいな感じ」と聞いて書いたら天声人語みたいな「である調」になった、という短絡的な裏もありますが。
もう一つ、五味太郎さんの本を読み返したというのも大きな理由です。五味さんは特に絵本で有名ですが、エッセイも面白いのです。力の抜け加減や物事の見方が何とも素晴らしく、その妙に近付きたいと、形から(形だけ)入ってしまったという次第です。五味さんの代表的エッセイに「大人問題」があります。現代の、特に人間関係や教育に於いての諸問題(とされているもの)について、解決しようと頑張ったり、悩んだりする大人の側にある問題に気付いてるか?というのが強引にまとめたスタンスです。かなり自由に飾らないで語られます。ウィットとアイロニーに富み、でもねちっこくない、良い意味でひねくれた文章です。
文章も、絵画や音楽と同じく創作活動です。それ故、その方式が印象に与える影響を考えるのは有効でしょう。ですが、それが四角四面なものばかりでは表情も表現も台無しです。もちろん小手先でウケを狙うのはナンセンスですが、内容と、それに見合う表現がバランスの下にあれば、文章は伝達手段に止まらずエンターテイメントとなるでしょう。
音楽にはアド・リブが活かされる場合がありまして、お固い演奏者は苦労と焦燥に駆られるのですが、それでも例や先人の演奏をコピーするだけではどうも物足りない。楽理、定石から少し逸脱した所に味が出てくるように思います。文章もフォームや常道から逸脱できれば表現がまた広がる。五味さんのエッセイからは、特にその「文筆家を名乗る人は書かない表現」からはそんなことの胞芽を得た気がしました。