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大学生の長い夏休みももう終わりにさしかかっていて、さて、本格的に秋だな、なんてよくわからないことを思う今日この頃であるが、気温はというといまだに下がってこないし、はやく涼しくなれよ、と無生物に対しての苛立ちが募ってくるかと思えば、急に晩だけ寒くなって風邪をひいたりしてさらに嫌悪感が増してくるのだけれども、仮にこの暑さというのは人間のなしてきた種々の行動によって引き起こされたものであると考えると、ありがちな罪悪感あるいは開き直りがわが身に生じてきてどうもぎくしゃくしてしまうので、何かいい案はないだろうかと考えるふりをしてみたのだが何の進展もない。
都会を離れて人口密度の小さいところへ行くとだいたい緑が多くあって、そこは、やはりと言って良いかわからないけれども、幾分か涼しいのだが、陽のよく照る日など特にアスファルトで覆われた道路は高温になるので、ムアっと、熱い空気に下から襲われて、熱い方が空気は膨張して密度が小さくなるし軽くなるはずだがどうしてか重さを感じるのは熱い空気であるなぁ、とか、やはり舗装されたところはダメだね、これがヒートアイランド現象の原因の一つと考えられるのは当然じゃないか、などといい加減なことが頭に浮かんできてしまう。
今年私にとって少し新鮮であったのは、舗装された道路たるものがいかに尊いものかということを今までとは違った感覚でとらえられたということだった。熱い空気を生むし、それにドウロコウダンという言葉にネガティブな印象を抱いていることもあってか、道路というものに軽とか蔑の念を抱いてきた、というかそれについて考えたことがあまりなかった気がするが、日本中に張り巡らされているのであるよ!道路は!都会を離れて山奥へ、なんてことを簡単に思いついてスッと実行できるのも道路あってのことではないか?などと思えてくるし、こんなところにまで道路があるなんてこれをつくった人はえらいことをしてくれたものだなぁ、と土木工のイメージまで浮かんでくる始末で、多少、ばかばかしいかなという気もしながら、そして道路のために野山が切り開かれたのだというところに無惨さのようなものを感じたりもしながら、えらいものだ、という感慨深さに支配されてしまって、結局暑さの問題は先延ばし、他人事になっている。
他人のため、次世代のためになりたいとは思っても、まだまだ自分のことしか考えられないでいるのだ。