孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
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火曜日担当の私は原稿の締め切りが月曜日であり、毎週月曜日は原稿のことばかり考え四苦八苦していますが、今回は最大の危機でありました。
いつまでたっても特にいい考えが浮かばない。ついには萎えきってしまって、布団でぐったりしていた時でした。小林秀雄のような顔の人が「思考の放棄」だと言う姿が急に頭に浮かんできたのです。その瞬間に、ガゼンやる気がでてきた、というより負けず嫌いな性格によって何くそ、という精神が呼び起こされたのです。
「思考の放棄」という言葉は、何かと討論番組やブログでよく使われている気がします。大体批判する相手を攻撃するのに用いるようです。理性至上主義の現代にあって思考の放棄とは、お前はサル以下だなんて言われてるようなものであり、相手をへこませるにせよ、自分の正当性を視聴者にアピールするにせよ、効果はてきめんです。私にも効果はあり、何とか書き出すことができています。
しかし残念なのは、結局私は「思考の放棄」をしている自分に危機感を抱いたわけでは決してなく、サル顔をした爺にサル以下と言われたことに憤慨してやる気を出したということです。もともとあまり好んで思考しようとしないものだから仕方ないのですが。
それでもそのおかげで思考しようと思えているのだから、私はこれを感謝しなければなりません。そして大いに利用しなければなりません。負けず嫌いという自分の譲れない面を利用して、頭の中にサル顔の爺をいっぱい作って、何度も何度も跳ね返されながら、思考する。自分で自分の背中を押していくのです。
普段はあまり生きている実感というものはないのだけれど、案外意識的に何かをして生きようとするこうしたことの積み重ねが実感につながるのかもしれないな、と思われたのでした。PR
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