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「元来、人間は死なない存在であったが、あるできごとがきっかけで月と同様死ぬようになった。しかし、それ以降人間は繁殖するようになり、月が繰り返し新しい生命を受け取るように、子どもたちが人間の生命を新たにしていくのだ。」
これは、アフリカ少数民族の間で広く語り継がれている神話である。狩猟採集でその日暮らしをする彼らにとって、満ちては欠ける銀色の円盤は、生や死のイメージと強く結びつく神秘的なものであったのだろう。カリハラ砂漠周辺のサン族には「月のことを笑うと、月が怒って月食になる」といった言い伝えもある。彼らの抱いていた月への畏怖がうかがえる。
月が日本民族に与えた影響も計り知れない。照明がきわめて乏しい中、月明への関心は古代より非常に大きいものであった。また彼らは、月の満ち欠けを基準に暦を作って日を数え、潮の干満を知った。彼らの生活・産業・軍事は月に左右されていたと言っても過言ではない。しかし同時に、月を見ることへの禁忌も存在した。『白氏文集』の一節「月明ニ対シテ往時ヲ思フコト莫カレ、君ノ顔色ヲ損ナヒ君ノ年ヲ減ズ」などとの関係が指摘されるが、『源氏物語』や『更級日記』には、月を見たために魂が肉体から乖離したり病気になったりする場面がいくつも見られる。月への畏怖という点では、アフリカの民族と似通ったところがある気もする。
もちろん周知のように、美しきもの、愛でるべきものという側面も、月を語る上で欠いてはならない。日本ではとくに秋の月を賛美し、その冷たく麗しい姿に、人々は自らの悲しみや無常観、さらには満足感をも反映させ、深く嘆息した。
花鳥風月という言葉があるが、その中でも月は特殊である。花や鳥や風には様々な種類があるが、月はただ一つしかない天体、それも時空を超えて唯一無二の存在だからである。阿倍仲麻呂は、異国の地より月を眺め、望郷の思いを込めて、「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも」と歌ったが、彼が見た月は、三笠の山に出でし月のみならず、今まさに私の部屋から見えているあの月とも同一なのである。そう考えると、なんとも不思議な気持ちになる。
たったひとつの月を見て、百人が百通りのことを考える。しかしそこには時空を超えて通底するあるひとつの感情が存在するような気がしてならない。月に魅了されるという心理現象は人類共通のものかもしれない――そんなことを思って、私はますます月に魅了される。
※今年の中秋は明日、9月25日だそうだ(ただし、満月は9月27日)。
※なお、この記事を書くにあたって、『世界大百科事典(平凡社)』『日本大百科全書(小学館)』「国立天文台ホームページ」を参考にした。