孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
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今年も桜が咲きました。「薔薇ノ木ニ 薔薇ノ花咲ク 何事ノ不思議無ケレド」の北原白秋の気持ちが分からないでもないなあ,と考えていました。何事の不思議無く今年も咲いていますけど,今年見た桜の多くが花びらではなく,花そのものがその前に散り落ちていました。つまり,5枚1セットの花,がくから上全部ががばっと落ちているんです。見られた方多いのではないでしょうか。
これまで案外気づかないところでした。桜といったら秒速50センチくらいで蛍が飛ぶようにはらはらと舞い落ちて,きれいだな,で済ますのが一般なのでしょうが,椿さながらがばっと花ひとつ落ちている,それも一つや二つではない。これは衝撃です。固定化された桜のイメージそのものに一石を投じられたかのようです。
もともとちゃんと見てもいなかったのだろうと思います。世の中に花見は多くても,花を見ている人はそう多くはありません。イメージ,偏見(,そして宴の席)を見ているわけです。桜とははらはら舞い散るばかりでもなく,ごっそり余情などなく落ちうるもの,そう知ってみると「桜って淡く舞うよね」などと呑気なこと言ってられません。椿を見るようなワイルドさがこもってきます。
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