孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
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クラス毎に整列して、先生方の話や諸注意を聞く、始業式と終業式。
あの少し堅い雰囲気の中、毎回あまり代わり映えのしないように感じる話を聞きながら、立っているのはなかなかしんどく、正直なところ、式に対しては面倒くさいものという印象しかなかった。しかし、そんな面倒くさい、形式的な式も、自分にとっては大切な役割を果たしていたのかもしれない、と最近思うようになった。
大学には始業式、終業式というものがない。(少なくとも私の大学では行われない。) 各自が履修している科目の試験を全て終え次第、長期休暇に入り、授業開始日に再び登校する。夏休みもいつの間にか始まって、あっという間に終わり、冬休みも、学年が変わる前の春休みさえも同様だった。
以前は、春休みに対して次の学年への準備というイメージが強かったのに、今回の春休みはどうもそんな気がしなくて、何故だろうと思っていたのだか、最近、それは自分の気の持ちようが違い、新年度に向けてのあの一種張り詰めたような気持ちがないことが原因だと気付いた。気持ちの切り替えができていなかったのである。
始業式で、ああ、新年度が始まるなあ、終業式では、もう一年も終わりか、というように、私は自分自身の気持ちの切り替えのきっかけとして、意外と式というものを利用していたようだ。
人が生まれてから死ぬまで、自分自身の時間はどんどん流れていく。一日、一週間、一ヶ月、一年…時間に何処か区切りがあるように思えるのは、人がただ定めたからで、本当はただただ流れていくものなのだろう。
しかし、生まれてから死ぬまで目の前にただ膨大な時があると考えると、人は何をしていいかわからなくなったり、無気力になったりするのではないかと思う。きっと、気持ちの切り替えが必要だ。けれど、意外と自分だけで気持ちを切り替えるのは難しい。だから、一年後に向けてどうこうしようとか、あと十分たったら始めようとか、なにかしら区切りをつけ、その区切りをきっかけに、自分自身の気持ちを切り替えて、何かに向けての活力を手にしている部分もあるのではないだろうか。
四月になって、もう満開の桜を目にするようになった。勿論、始業式なんてものはないけれど、漂う春の空気をきっかけに、気持ちを新たにして、新年度も頑張ろうと思う。
あの少し堅い雰囲気の中、毎回あまり代わり映えのしないように感じる話を聞きながら、立っているのはなかなかしんどく、正直なところ、式に対しては面倒くさいものという印象しかなかった。しかし、そんな面倒くさい、形式的な式も、自分にとっては大切な役割を果たしていたのかもしれない、と最近思うようになった。
大学には始業式、終業式というものがない。(少なくとも私の大学では行われない。) 各自が履修している科目の試験を全て終え次第、長期休暇に入り、授業開始日に再び登校する。夏休みもいつの間にか始まって、あっという間に終わり、冬休みも、学年が変わる前の春休みさえも同様だった。
以前は、春休みに対して次の学年への準備というイメージが強かったのに、今回の春休みはどうもそんな気がしなくて、何故だろうと思っていたのだか、最近、それは自分の気の持ちようが違い、新年度に向けてのあの一種張り詰めたような気持ちがないことが原因だと気付いた。気持ちの切り替えができていなかったのである。
始業式で、ああ、新年度が始まるなあ、終業式では、もう一年も終わりか、というように、私は自分自身の気持ちの切り替えのきっかけとして、意外と式というものを利用していたようだ。
人が生まれてから死ぬまで、自分自身の時間はどんどん流れていく。一日、一週間、一ヶ月、一年…時間に何処か区切りがあるように思えるのは、人がただ定めたからで、本当はただただ流れていくものなのだろう。
しかし、生まれてから死ぬまで目の前にただ膨大な時があると考えると、人は何をしていいかわからなくなったり、無気力になったりするのではないかと思う。きっと、気持ちの切り替えが必要だ。けれど、意外と自分だけで気持ちを切り替えるのは難しい。だから、一年後に向けてどうこうしようとか、あと十分たったら始めようとか、なにかしら区切りをつけ、その区切りをきっかけに、自分自身の気持ちを切り替えて、何かに向けての活力を手にしている部分もあるのではないだろうか。
四月になって、もう満開の桜を目にするようになった。勿論、始業式なんてものはないけれど、漂う春の空気をきっかけに、気持ちを新たにして、新年度も頑張ろうと思う。
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