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デイリー孝太郎の執筆の一端を担わせてもらってから、自分なりにではあるが毎週教訓めいたことや意味のあることを書かねばならないと一種の脅迫観念に駆られていた。ときおり詩を書いたりして自分で設定した義務を回避してはいたが、大方「かくあるべきだ。」だとか「この現象には何々という意味がある。」だとかいうように、文章を進めてきた。うまく皆さんに伝わっているかどうかは私の文章力にかかっているので全く別問題として、私個人としては実に充実した気分で書かせてもらっていた。
今思えば、こういう文章は本当に書くのが楽だ。自分の意見をただつらつらと書けば良く、論理の整合性などは勝手に作ってしまえばいい。(それでこそ創作と言えるのだが)教訓を示してはいるが実践に移すことは難しく、常にここに書いてきたような考え方をしている訳ではない。けれど、ひとつの提案としてある意見を述べてきた。
デイリーを書かせてもらっている期間、私はとても穏やかな環境の中に身を置いていた。周りにいる気遣いの上手な友達たち、見守っていてくれる大人たち、私の人間関係は全てそういう居心地の良いもので構成されていた。そしてその世界は狭いものだった。また、私が汗水流して立ち向かうべきものは少し強敵であったけれど、思えばその敵はたった1つで、私がすることは知識のアウトプットに過ぎなかった。そこには選択の余地もなく手段の多様性もなく、必要なのはがむしゃらさだけだった。だから、今まで平静を保ち飄々としていることが許されていた。ある種の余裕があったので、少々人生を知ったかのような高慢な匂いのする文章を気兼ねなく書いてきた。
先日、ほんの些細な事があった。最近になって初めて踏み入れた世界にて、である。簡単に言えば「嫌な思い」をした。まるで幼い頃にした友達との喧嘩のように、その光景は私の心に無神経にズカズカと入ってきたのだ。ずっと、おそらくここ何年間か経験していなかった苦しくて苦しくて逃げ出したい気持ちに襲われ、一瞬で今までのこの安定が崩れ去った。こんな大袈裟に書くと何があったのかと心配されそうだが、本当に数秒間のどうでもいいことなのだ。それなのに。
自分は精神的に成長したと思っていたのは大間違いであった。今までいい人に囲まれてその人たちに頼りきった結果、生身の人間との関わり方の難しさを忘れていた。白い紙へのアウトプットの方が難しいと思い上がっていた。見えないものをみる、人間との関わりを見つめる、人に優しく、ここで色んな理想を垂れてきた。それらは今も間違いとは思ってはいないが、まさに机上の空論。実世界における経験無しには、何の説得力も生まれやしないのだとひしと身に染みた。
まもなく成人となるが、なりたくなかった子供大人になってしまうのだろうか。ため息が出るほど、まだまだ修行が足りない。一歩ずつ、本当の意味で成長したいと切に思う。