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バイオエタノール、バイオマスエタノールという耳慣れない言葉が巷に広まって、これは新しいエネルギーだと皆が手放しで賞賛したのは少し昔のことになった。今は多大なコストがかかるだとか、逆に環境破壊を引き起こすだとか様々な問題点があげられている。オレンジジュースも飲めなくなるのかな。これからバイオエタノールはどういう風に私たちに関わってくるのだろうか、批判を考慮したバイオエタノールに関する一段階上の利用法は見つからないのかな。とぼんやりと考えていた時に、ふと頭を過ぎった事を書こう。
これは改めて考えることもないような、当たり前の事実なのだけれど。文化であれ技術であれ、物事を受け容れるまでのプロセスは、賞賛・許容→批判・反発→受容という順序で成り立っている。新しいものを取り入れる際に起こる現象としては当然のことだろう。例えば、幕末開国期の日本において開国に反発した攘夷派が、最終的には西洋文明の利点を受け入れそして利用したように。文学のジャンルの変遷も反発が大きな転換を示していて、このプロセスに通じる部分があるかもしれないと、思っている。もちろんこれらはこじつけに見えるだろう。事実、私はこじつけた。
なぜならすべての現象にA対Bという単純な構図があるわけではなくて、政治的な意図や思いもよらない偶然や他のものとの関連といった多様な要素が絡み合っていることは間違いないからだ。
ただ賞賛・許容→批判・反発→受容の形に「こじつけること」こそが大切なのではと私は思っている。それは正・反・合の弁証法のように、あるものとそれに矛盾するもの双方を考えることで一段階上のあるものその2を作るよう心がけることだ。
ここでいう「受容」は「消化」と変換しよう。そうして「鵜呑み」との差異を強調したい。私の中に新しく舞い込んできたAを、「これが皆の言うAか。ではここ(頭)にしまっておこう。」とはしたくないのだ。理想はAに「本当にそれがAなのか?Aはしまってもよいものなのか?そもそもAとは何なのか?対立概念Bとはどういう関係なのか?」としまってしまう前に問いただしたい。そうしてAを「真のA」に近づけてから、存分にAを味わいたいものである。できれば結果的に、消化を経て私なりのAを確立させたい。
なんだか懐疑的な人間を作り上げそうな理想だが、自分のものにして受け容れることは有用だ。この消化のプロセスは、許されないものを高い次元で再構築する思考と、許すべきものを受け容れる心の広さを与えてくれるのだから。これからは人や学問を含め新たな世界に接する機会が多くなりそうだ。ぼんやりしている私はあっという間に情報の海に流されてしまいそうなので、「消化のプロセス」を意識したい。