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 徳島県は鳴門海峡といえば渦潮が有名だが、そこには「渦の道」という観光スポットがあり、大鳴門橋の橋桁に設置された高さ45mの遊歩道から渦潮を見下ろすことができるようになっている。私が行った時間には残念ながら渦は巻いていなかったが、自分の立っている透明の床の真下に海面が波打っている様はなかなか非日常的なもので楽しかった。
 ああいう場所に行くと「床が抜けたらどうしよう」「どの程度の重さまで耐えられるのだろう」とやはり考えてしまうのだが、顧みると日常の生活圏内にもそういう場所はたくさんあって、というか二階建て以上の建物はすべてそうなのであるが、それでも我々は何の恐怖も違和感も感じずに生活を送っているというのは、実は結構特殊なことなのでは無かろうかと思うのだ。
 別の話をすると、等速直線運動の電車に乗っているときには床は止まっているのと同じになってしまうわけで、それと同じく二階建ての床というのは地面と全く同じものとして我々は捉えていて、謂わば「擬似地面」とでも名付けたくなる存在になっているのだなあ、と考えたのだが、そういえば中学校で位置エネルギーのことを習ったときにも今と同じような気持ちになっていたなあ、とも考えたり。昔は大地を神として崇める信仰もあったらしいが、そういう意味でも現代では神が死んでいるといえるかもしれない。
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