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 「~の時代」という表現を聞くシーズンになりました。式典が多い季節ですが、そういった時の祝辞とかでよく使われます。曰く、若者の時代。個性の時代。没個性の時代。国際化の時代。競争の時代。優しさの時代。無関心の時代。若者の心が荒れる時代。日本が駄目になった時代。サブカルチャーの時代。デスメタルの時代。ロリータファッションの時代。

 

 こういった時代とはいったい何なんでしょうか。英語のera、またはperiod。その時期の流行りのものをそう呼ぶ感じでしょうか。何しろ何にでも時代をつけることができます。そして怖いのはそのどれもが人々に信憑性をもって迎えられることです。さっきあげた例にわざと「個性の時代」「没個性の時代」と相反するものを入れておきましたが、両方が何かしら語られるものです。特徴は両方に冠詞のごとく「最近の若者は」というのがつくことですが。

 

 時代というのが思ってるほど短期で変わるものではないのだと思います。そりゃあ政権組織が転換したり生活様式が変わったりしたらそりゃあ時代も変わったな、というところですけれども。ここ10年の変化が激しいからと言って、それが江戸幕府が転覆したのと同じ規模の変革だったと言い切ることは無理ですし、ナンセンスなことでもあります。その中でではいったい何が時代として使われているか。要するに全部です。見ようによってどうとでも見られるわけです。インターネットの時代、パソコンで文章を書く時代、匿名の時代、対多数コミュニケーションの時代…このデイリー孝太郎でぱっと思いついたものを列挙してもこう言えます。そして、どれもが言われているであろうことです。

 

 「~の時代」はそういう意味で、単なる誇張表現以上のものではないと考えます。悪いことにその他の誇張よりもよく使われて、よく信じ込まれるものとも感じます。こういった表現を好んで使う演説はどうも信用できません。彼が一体その現象を「時代の寵児」に仕立て上げる理由は何なのか。勘ぐってしまいます。誇張表現がまかり通る時代だからこそ、広い視野を持ちたいものです。こうやって「時代」を使ってみたら、ほら違和感が無い。この気づきは相手のフォーカスしたものに批判を向ける一歩になりえるかと感じます。

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