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小学生だったころ(もしかしたら中学生になっていたかもしれない)のある日、私は夕飯を食べながらテレビを見ていた。所ジョージがでていた。その番組の中で所ジョージは自分が書いた本を紹介していて、その中の一節を紹介して、面白いでしょ、と宣伝していた。その紹介された言葉が当時の私にはとても響いて、「なるほど!」と思ったことを覚えている。
先日、友人と話をしていたときにふとその言葉を思い出したので、所さんがこんなことを言ってたよ、とその言葉をもちだしたところ、「あぁ、ニーチェですね」と返ってきた。私が数年前にきいたあの言葉は実はニーチェが言ったことらしかった。食べながらだったし、よくきいていなくて、そう言えばそれがどんな本であったかも所ジョージがどんな風に紹介していたかも覚えてないのだが、ここで変に取り繕ったりしては余計にみっともない。そんなことはどうでもよくて、私はその瞬間、一種の衝撃を受けた。感覚的には足元の地面がパッとなくなったかのようなイメージ。
さてまた別の話だが、CMとかドラマとかである曲が使われていて、この曲はよく耳にするけどなんという曲だろう、ということがよくある。最近では、ある携帯電話会社(?)のCMに使われていた曲で、しばしば聞くけれどもわからないというのがあった。こういう曲が、なんとなくかけたCDをきいていると不意に流れてきて、あわててCDのジャケット(?)を確認して、ああ!○○という曲だったのか!となったりする。上にあげたCMの曲の場合、テレビで札幌交響楽団をとりあげた番組をやっていて、その中でプロコフィエフのロメオとジュリエットが演奏されるシーンがあった。ロメオとジュリエットって確かよくわからん曲だったななんて思ってほかのことを考えていると、例の曲が流れてきてびっくり!という具合だった。
さて、またまた別の話だが、3年くらい前に、友人との会話の中で、私には意味不明な言葉が使われたことがある。(そういうことは決して稀ではない)。それは私の語彙力の問題ではなくて、それが何か「ネタ」のような感じであるなという印象を受けたのだが、とにかく私はその意味がわからなかった。(笑えもしなかった)。ところが、先日、私がラーメンズという2人組が何年か前にやったコントを見ていたところ、なんとその3年くらい前に友人から聞いた意味不明な言葉がそこで使われていたのである。彼はこれを見て使ったのだろうな!と思った。
ときに、上にあげたような「そうだったのか!」的体験が、私はとても好きである。これら3つは微妙にタイプが違っていて「そうだったのか!」にもいろいろあるのだが、やはり一番「!」なのは学問(という言葉を使うのは少し怖いけれど)に関係することであることが自分にとっては多い。例えば、無限の概念について学んでいて、小さいころから不思議だなと思っていたことに少し光が差したとき。あるいは、社会学の講義を受けていて、そこで語られる人間とはという問いに対する教員の考えをきくとき。言葉にできない楽しさがある。また、誰かの残した言葉(名言と呼ばれたりすることもある)あるいはどこかで読んだ文章、あのとき聞いた言葉が、自分が生きているなかでふと「あの言葉はこういう意味だったのかもしれない!」と感じられる瞬間もある。学ぶという言葉は「真似ぶ」からきていると聞いたことがあるが、これは誰かの教えなんかを、とにかくいったん覚えて、時間をとおして、自分がその誰かの言いたかったことを追体験するような(そこで「~だったのか!」と思うことになる)、そういうことが学ぶであるということなのではないか、と思う。(蛇足かもしれないが、こういう意味で、本を読むのは大事であるし、実践もまた同じように大事であると思う。)