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 今年も早、おほつごもり近づきて、「一年を振り返る」なんていう季節。
 日本漢字能力検定協会が一般に公募して毎年発表している「今年の漢字」。2007年の漢字は「偽」だそうだ。
 ひとつ、思い出されるのは、Mr.childrenというバンドが、今年一月に「フェイク」と題した新曲を発表していたことである。予言とまでは言わないが、潮流を巧く読んだ絶妙のタイミングであったと思う。情報過多で何を信じて良いか分からない。自分の存在すらも偽物のよう。この感覚は現代情報社会に生きる者にはある程度共感できるものだろう。複製技術の発達によって本物と偽物の区別がつかなくなり、芸術作品が権威を失ってしまった、というヴァルター・ベンヤミンの指摘はもう80年も前の話になるが、いわゆるIT革命によってこの傾向は近年さらに加速したようにみえる。
 ところで、そもそも「偽」という言葉は「似せ」から来ているわけだが、何かを何かに似せる行為というのはもともと非常に人間らしい創意工夫に満ちたことではないだろうか。芸術にしても、自然物を紙の上に似せて描いたものが始まりであろうし、印刷技術もラジオもテレビもファックスも、結局は何かを何かに似せて再現したいという思いの現れだと思う。
 だからこそ、「来年こそは偽りのない年に」という言葉が私にはとてもナンセンスに聞こえる。偽りをなくそうとする行為は次なる偽りをまた生んでゆくばかりだ。一度似せて作ってしまったものを元に戻そうとしても、畢竟それは人間の作為が加わった「似せ」なのである。自然は不自然な観光資源としてしか存在し得なくなってしまったのだ。
 恐らく問題なのは、感覚が麻痺して「偽」を「偽」だとも思わなくなってしまうことだと思う。自分の中に存在する、誰かによって或いは自身によって作られた「似せ」の部分に自覚的でありたいと思う。
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