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この夏人気を博したかの有名なアニメ映画についての評価は賛否両論といったところだろうか。(私も耳について離れないあの歌と世の中の「流行」のために、劇場まで足を運んだ人間の一人である。)いやむしろ、その評価は賛と否と二元的に分類するよりも、広さ・深さとともに広がっているといってよい。概して子供向けだ・癒される・抽象的だといった感想が多く見受けられる作品だが、多数派が持つ感想が作者の真意だとは限らない。
この映画に対する見方のうちのひとつは私がインターネット上で見かけたものだが、それは神話学と本作の関連性に着目し、登場キャラクターの行動や作中の何気ない場面に象徴的な意味を与えている。その批評をふまえて改めてアニメを頭の中で再現すると、なるほど、恐ろしい具合にその批評と作品とのつじつまが合う。残念ながらその内容が本題ではないので割愛させてもらう。しかしながら、これはよくある都市伝説的なもの・裏を読もうとしてこじつけに走ったものとしても十分捉えうる。もちろん逆に、これは「子供を楽しませる」という設定の裏に隠された「大人を楽しませる」ための綿密すぎる作者の遊び心かもしれない。
どちらが事実であれ、その作品の見方が変わるだけで何度見ても繰り返されるアニメーションは1回目見たものとなんら変わりはない。受け手にゆだねられたものによってその作品の評価が決まるのだろうか。こういったこじつけめいたものは穿った見方をしたからだろうか?童心ならば作者の思惑通りこのアニメを存分に楽しめただろうか?私はただ単純に、「抽象的だなぁ・・・解釈はこちら側に委ねられているなぁ。」と思いつつ、それなりに(きっと子供らしく)その作品を楽しんだ。
「感受性」という言葉が頭をよぎる。私はごく一般的もしくはそれ以下の感受性の持ち主だ。と思っている。(そもそも感受性に優劣はないが、適当な言葉が思いつかないので「以下」と使う)本を読むときだって行間を味わったりしない、字面を目で追って内容をそれなりに再現する。再現された人物や家はどこかで見たことのあるもので、zeroから再現する想像力はとんとない。評論だって物語だって数日もすればすぐに忘れてしまう。一方で子供のころのような純粋な気持ちでものを見ることもできなくなっている。作品の批評に予め目を通せば、いくら自分らしく捉えようとしてもある種のフィルターがかかってしまう。これらのことは私を実に情けない気持ちにさせ、今までの人生の貴重な時間を浪費した気分にさせるのだ。ならば、穿った読み方を意識すればよいのか?徹底的に精読することが理想なのか?