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 中学校からの友達が近々引っ越すことになったらしい。初めにそれを聞いたときは、引っ越し先の距離はそう遠くないし、メールもできるから、それほど大したことではないと思ってあまり驚きもしなかった。
 しかし後でぼんやり考えるにつれ、だんだん不安になった。 彼は高校、大学とも同じではないが、学校への行き帰りの道でよく会った。そのため彼の顔を忘れるようなことはなかった。しかし彼が引っ越しすれば、顔を合わせることは滅多になくなるだろう。私は忘れっぽい。段々と彼の顔にもやがかかり、自分の妄想加わり、記憶は実際の顔から少しずつ変わっていってしまうだろう。そしてもし久々に会う機会があろうとも、彼自身もやはり変わっており、私の思うものと随分方向性は変わってしまうだろう。
 美醜関わらず、顔は大きな個性である。もし彼の変わりようが、彼の内面なども踏まえて私が頭に描いていたものと同じならさほど違和感はないかもしれないが、そうでなければどうだろう。私の思う『彼の個性』が感じられないとなると、やはり彼を遠く感じてしまうのかもしれない。顔は大きな個性であり、そして他の個性とも強く結びつけられているのだと思う。
 しかし、勿論人間顔だけじゃない。顔の個性をぶっ飛ばすようなふざけた個性を持つ人はいっぱいいる。私の友人も、その類いであると思う。そのうち再会したとき、疎遠な気持ちなどまるで感じさせないものを放ってくれたらいいなと思う。むしろ私が相手にそんな気持ちを抱かせないようにすべきか。まぁ要らぬ心配だろうけど。
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