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私は普段ぼんやりとしていることが多い。そのおかげで脳ミソがぐったりしていて、日常は緊張感にかける。車に乗ったり自転車をこいで頭が動くと、バカな脳ミソは自分が働きだしたと錯覚するのか、ようやく目覚めてくる感じである。
しかし、本当に目覚めているのか、というとそれはかなり疑わしい。ちょっと気持ち良くなって、目覚めた気になっているだけかもしれない。
自分の脳ミソが何をしているかというのは、なかなか分かりにくいことであると思う。素直に自分の思うようには働いていない。数学の難しい問題が解けずウンウン言っている時、本人は一生懸命考えているつもりでも、脳ミソは実は全然働いてないらしい。好奇心で色々調べてみたことも、しばしばすっかり忘れてしまう。そのくせ自分では本当にどうでもいいようなことを、一度聞いただけで覚えてしまっていたりする。脳ミソが何に対して活発に働いてくれているのかは、経験的につかむしかないのかもしれない。
しかし、脳ミソの欲と自分の意志とが重なる時には確かに脳ミソは活発に働いている、すなわち思考している。脳ミソの欲がはっきり分からない以上、自分の意志をできるだけ長く保つことで思考する機会がより増えることになる。
こんなことを書いているのは、思考している状態がどんなものかというのを私は今一つ分かっていないからである。何かに悩んでいるとき、ふと、自分は本当にその悩み事、いやそれに限らず、あらゆる問題にあたった時、思考しているのか?と思った。自分が何かを考えていると思っている状態が、本当に思考している状態なのか分からなくなってしまった。だからそのことについてまた悩んでしまっているのである。そしてまたそのことについて…。やがてせっかく目覚めかけてたような脳ミソは、また眠ってしまうのである。