孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
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槇原敬之の歌「僕が一番欲しかったもの」とGReeeeNの「愛唄」のメロディーラインが酷似しているという指摘が、ファンを含めて様々な人から出されています。YOUTUBE上に比較(といっても結論ありき)のビデオが掲載されるほどです。茶化すためにビデオの編集ご苦労さん、と皮肉るのも少し躊躇うほど真剣なものでした。
独創的であることが重くみられる芸術の世界ゆえ、同じものが出てきてしまうのは失格だ、ということなのでしょう。別にGReeeeNのファンでもなく、弁護の意思はありませんが、この二曲に限らず、この手の「被り」にはどうも非難をする気になれません。ああ、草派の陰からの言い分ですが。
一つのメロディーに、一つの詞が対応して歌ができ、それが歌われて作品になる。その過程で、一部のメロディーが聞き覚えのあるものでも、その前後のつながりや詞、息づかい、その他の要因によって違う意味を為すように思います。勿論歌以外にも充分当てはまるでしょう。熱心に作られた曲であれば「その音しかない」からその音が使われているわけで、単に似てる、では評価を少し下げるくらいならともかく、非難まですることはないだろうと感じます。そんなことなら先に、似たような歌い方しか出来ない某アイドルグループを歌手として批判しとくべきです。
あと、作曲者の有名度も関わっているように思います。W・A・モーツァルトの曲は、特にカデンツァに於いて一体似たような動きが何度、何曲に出てくるでしょうか。久石譲の曲にも相互の類似はあります。ですが、あまり文句が出ません。特に前者は似てると発言するのも憚られるような状態です。
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