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「ピッカピカの一年生」「フレッシュ」で思い出したが、英語では大学一年生のことをfreshmanと言う。ちなみに、二年生はsophomoreで、物知り顔といった程度の意味である。三年生はjuniorで、少し謙虚さが戻り、四年生でseniorとなって名実ともに成熟する。なかなかうまく言ったものだと思う。

さてそのfreshmanの私だが、初々しい気持ちで各講座の初回授業に臨んでいる。その中で特に心に残った講義があるので、この場を借りて報告したいと思う。

その日は一日中雨模様で、学生の活気も湿り気味であった。五限目になって私もずいぶん疲れていたが、以前から興味を持っていた数学史の授業ということで、少しばかりの期待があった。開始時刻から五分ほど遅れて老教授が姿を現した。三段式の黒い折り畳み傘を一回だけ無造作に畳んで、前に突き出すようにしながら講義室に入ってきた。禿頭、白髪、ざんばら髪という絵にかいたような「大学の先生」であった。

階段式の大きな部屋なのにも関わらず、教授はマイクを持たずに講義の概要を話し始めた。その上つぶやくような小声なものだから、後ろ寄りに座っていた私は、その日本語を聞き取ること自体に難儀した。概説が終わるとすぐ本題に入ったが、それでも声のトーンは変わらず、私は面食らったというよりそれを通り越して愉快になってきた。

もっと愉快だったのは板書である。まず、字が乱雑、かつ小さすぎて読めない。そして膨大な量を書き続ける。語尾や接続語もきっちり含んだ「文章」を綴るのである。教科書を使わない講義だが、まるで教科書を書き取っているような気分になった。教授は「話している」というよりむしろ「板書を読んでいる」といった風情で、ひたすら黒板に向かってつぶやいていた。

内容は「有史前、数の概念はどのように生まれたか」といったもので、たいへん興味深かった。しかし、そのあまりに淡白な進行と板書の多さに耐えきれなかったのだろうか、十人ほどが授業終了を待たずに途中退出した。私は意地でも我慢してやろうと思って黙々とノートを取り続けた。

 最後に教授は、「次週はエジプトの数学」と黒板に書きつけて、入ってきたときと同じように、折り畳み傘を前に突き出すような格好で出て行った。あとにはミミズの這った黒板と、学生の嘆息が残った。

 この授業にはぜひ半年間休むことなく出続けようと思う。終講時、私の手元には、手書きの数学史の概説書一冊と、「大学の先生」の授業を受けたという滑稽な達成感とが残るに違いない。
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