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普段通る帰り道、何か雰囲気が違うなと思えば横断歩道を渡った角の古家がなくなっていた。ぽっかりと出来たその空間は広く、殺風景だった。そこが住宅地だったことも相まってだろうか、一軒の家が無くなったことは何年も同じ風景を保ってきたその場所に、大きな変化をもたらしていた。

 

しかしあっという間に無くなった家だ。きっと次の家が建てられるのもあっという間の出来事なんだろう。土台が作られ、骨組みが作られ・・・と思っているうちにそこを通れば新しい家が出来上がっているものだ。新しい家はまたそこのぽっかり風景にそれなりの変化をもたらすだろう。だが、私は新しい家を迎えたその風景にもきっとすぐに慣れてしまう。何年も見てきた古家の記憶は拭い去られ、あたかも新しい家がずっとそこにいたかのような気持ちになるだろう。

 

大事なものは無くしてその存在の大きさに気づかされる、とよく言うが、さして大事でないものは無くなってもその程度の感覚だ。そうやってあちらの家もこちらの家もどんどん脱皮していく。あの大きな木の葉も年毎に脱皮をくりかえし、川は整備され、道路は舗装され、私のふるさとはどんどん脱皮している。今こうしている間もこのまちのどこかが脱皮をしている。

 

気づけばふるさとという大事なものががらりと変わってしまっていた。さして大事でないものが集まって、私の大事なものを形作っていたのだった。もっと目を向ければ良かった、小さな脱皮をもっと愛しめばよかった。そう思った帰り道だった。

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