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  秋が深まってきました。気温から特に感じます。一昨日蝉が鳴いてたりしたんですがね。こういう時に「気づいたら秋が来ていましたね…」などと言っては月並みと切り替えされるでしょうか。

 

 月並みっていうのが,最近どうも難しい概念です。辿ったら無季俳句を率先して作った正岡子規が俳諧の音律の平凡さを指して言ったらしいですが。でも長きに渡って,いや今も季語ってのは用いられて,音律に従うことも多いですよね。形式はおいといて,それが愛でられるから存在するわけで。

 

 いやまた,人間というものの本性を考えてみてもいいかもしれません。アダム=スミスは「道徳感情論」の中で「人間は他者との共感を最大の快とする」みたいなことを唱えていました。いかに感性の鋭い人といってもそれが受け入れられない形では表現しないわけです。秋の感動を草野心平のように「るてえる びる もれとりり がいく。…」(「ごびらっふの独白」より)とは示さないものです。鹿はあくまでも奥山であひょーと啼き,それが月並みだと批判する側もあくまでも鹿を用いて表現するでしょう。秋と聞いてミミズを思い出しても,それがいかに根拠あったところで理解されません。つまり,人が秋を聞いて思い出しうるぎりぎりの境界線を探索するのが芸術家の仕事,月並みというのはチキンレースの結果の一つといえるでしょうか。

 

 人は「自分の分かる範囲でおもろいことやってね,あんまり冒険しないでね,でも無難なのはやめてね,そんなのは月並みって言うよ」というスタンスでも取っているんでしょうか。いや,全くめんどくさい。人受けのために,というのも一方的な言い方ではありますが,秋が来たことくらい奥山から鹿を引っ張り出さんでも気楽に考えりゃいいのに,と考えていました。

 

 筆者は,秋が来たので「月並み」に疑問符を呈しました。皆様,よい秋を。

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